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パテントパラリーガルとシンガーの二足のわらじを履く人間。ワーキングマザーとして積み上げ…

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パテントパラリーガルとシンガーの二足のわらじを履く人間。ワーキングマザーとして積み上げてきたものを糧として、現在奮闘中のワーキングマザーの皆さまを応援する側に回ります! https://yupara.hp.peraichi.com/

最近の記事

自分で自分のご機嫌を取ることの難しさ(かつての私)

子供たちが小さいころ、買い物に行ってもついつい子供のものばかり買ってしまったり、食事の内容も子供に寄せたり、それはそれで満足していたのだけれど、時々叫びたくなりました。 「自分の欲しいもの買いたーい!」 「自分の好きなもの食べたーい!!」 買ったり食べたりすればええやんか、と今なら思いますが、当時は時間が無かった。仕事・家事・育児に追いまくられていたので、ひとりで、あるいは友人と休日に買い物に行ったり、外食を楽しんだりする時間なんて皆無だった。 いや、それはちょっと嘘。

    • 友の急逝に思うこと

      友人が急逝しました。 「体調が悪くて、入院するけど頑張るね」と連絡が来てから数日後、あっという間に旅立ってしまいました。 病室からは桜が綺麗に見えたそうです。 彼女は音楽仲間で、華麗なシンガーでした。彼女のステージは毎回ゴージャス、ファンの方が本当にうっとりと見入っていたものです。 私から見る彼女は、美しいもの、美味しいものが大好きで、こんなに桜が真っ盛りの時に逝ってしまうなんて出来過ぎだよと、不謹慎にも思ってしまいました。 大きなソロライブを控え、忙しい中にも充実した日

      • 非常時のワーママ・ママ友ネットワーク

        ワーキングマザーのめまぐるしい日々、どんな時を非常時と捉えるかは(あるいは毎日が非常時みたいなもの?そうなるともはや常時よね?)人それぞれだと思いますが、東日本大震災発生時は間違いなく多くの人にとって非常時でした。 今から13年前、我が子たちは小学校6年生と小学校1年生でした。 勤務先で「お茶でも淹れて休憩するかな~」と席を立った時に、まず突き上げるような縦揺れ一発。そのあとは長い横揺れが続き、ビルが倒壊するのではないかという恐怖に襲われるほどで、正直もう駄目かと思いました

        • ワーキングマザー人生の振り返り~3~

          4月第一週が終わり、社会人になったばかりの我が子その1が言いました。 「お母さんて、すごいね…。毎日働いて、家事もして」 学生時代に一人暮らしを経験している我が子その1は、その時にも「母親のありがたみ」を感じてたようですが、働き始めて(といってもまだ研修期間ですが)「ありがたみ」+「その大変さ」=「働く母すごい」を痛感しているようです。嬉しい。 保育園の先生に引き渡しても、私を求めて大きな声で泣いていた我が子、あんなに泣いている子をおいて、仕事に行く必要があるのだろうかと葛

        自分で自分のご機嫌を取ることの難しさ(かつての私)

          ワーキングマザー人生の振り返り~2~

          ワーキングマザーにとっては避けて通れない、小1の壁。 遅い時間まで対応していただける保育園と比較して、学童保育は大抵早い時間で終わりますよね。我が子たちの学童保育は、18時まででした。 よほどの近場で働いていて、残業なしで職場を飛び出せば間に合うかもしれないが、そうでなければ、我が子は一人で誰もいない家に帰らなければならないのです。 小1なんて、まだまだ小さくて、背中よりもランドセルのほうが大きいくらいなのに…。 今は民間の学童保育もいろいろあって、家まで送ってくれるところ

          ワーキングマザー人生の振り返り~2~

          ワーキングマザー人生の振り返り

          我が子その1は4月から社会人、我が子その2は大学生。というわけで私のワーキングマザー人生は完了していますので、ちょっとだけ振り返ってみようと思います。 ざっくり思い返すと、私の職歴は子育てしやすいよう選択してきた側面があります(何気に転職回数5回以上)。親は遠方で、日常のお手伝いは頼めない。夫も多忙で、第二子誕生後しばらくは、何をどう乗り切ったのか覚えていないほどワンオペでした。 「人間て、あまり眠らなくても何とかなるんだな」とか、「動物の母親が我が子を守るために攻撃的にな

          ワーキングマザー人生の振り返り

          私について(いわゆるしっかり者の長女)

          1歳違いの妹を持ち、1歳しか違わないのにと内心くすぶりつつも「お姉ちゃんなんだから」と言われて育ち、どこから見てもだれが見ても、いわゆるしっかり者の長女として、私は歩んでまいりました。今はある意味その呪縛から解き放たれ、かなり自由に生きてるつもりでいます。 教員を目指していた時期もあり、大学時代のバイトは塾の講師と家庭教師がメインでした。 塾では中学生に英語を教えていて、英語嫌いの子を英語好きに変え、成績向上に寄与した実績があります(自分で言っちゃう)。 家庭教師では、不登

          私について(いわゆるしっかり者の長女)