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叔母が亡くなった

先日、叔母が亡くなりました。癌でした。

もう4年くらい顔を合わしていなかったのですが、3ヶ月前くらいに癌が見つかったという話を母から聞いてからというものの、ほんとうにあっという間でした。

身内が亡くなるのは中学生以来で、大人になってから身内を無くすのは初めての経験です。

なぜ今、noteを書いているかというと、故人のことを思い出しながらこの気持ちをどう消化できるか、どこかに吐き出したい思いでnoteに書いています。
クローズドな場所でもよかったのですが、共感してもらいたいのか、誰かに聞いてほしいのかもしれないですね。

ここから先は、ただの書き殴りです。

小さい頃はよく、叔母と、叔母の旦那さんに連れられて色々なところに行きました。
ドライブや、万博公園や、猿山、デパート、お化け屋敷、数えればキリがないですが、様々な場所に連れていってもらった記憶があります。

大人になるに連れてどんどん会う頻度は減っていったのですが、4年に一度会うくらいでした。
4年前に会ったときは、随分と年を取ったなと思ったのを覚えています。

3ヶ月くらい前に、癌が見つかったと母から聞きました。
その時はそこまで重く捉えていなかったのですが、珍しい癌だったらしく治療が困難だったようです。
今月に入ってからは、もう言葉もあまり話せない状態だったらしいです。

結局最後まで、私は病院へは行けませんでした。
そんな状態の叔母に、どういう顔をすればいいかわからないし、どんな言葉をかけていいかわからなかったから。
兄は叔母が亡くなる1週間前に、病院へ行ったらしいです。
ほとんど何も話せなかったみたいですが。

先日、母からのLINEで、叔母が息を引き取ったと連絡がありました。
今月いっぱい持つかわからないということは聞いていたので、連絡の内容はすぐに察しました。

叔母には旦那さんがいますが、叔母が亡くなる2週間程前に自殺しました。
叔母がいない世界で生きていくことができないと思ったのでしょう。
叔母の最期も見届けずに死んだ勝手なやつだと思っています。
旦那の努めもせずに、死んでしまいました。
自分のことしか考えていない勝手なやつだと、腹が立ちました。
同時にやるせなさも。
叔母の気持ちを思うと、ほんとうにやるせないです。

身内が亡くなると、「死」というものが実はすぐ側にいて、フッと突然現れる幽霊みたいに思えます。
実はずっと隣にいるんだなと。
そして同時に、死ぬとすべてが思い出に変わるんだなと。

しかし、1ヶ月以内に身内を2人亡くして、大変なのは両親です。
両親がすべてのことを見て、すべてのことをどうにかしていたので。

「なにかあったら言うわ〜」と私に、いつも言うものの大変だろうなと。
私自身も「なにかあったら言って〜」と、伝えてはいるものの。

人がこの世から消えるというのは、世界に穴が空く感じがします。
人が亡くなることには、そう慣れそうもありません。

生きるものには日常が続いていて、同じ明日が繰り返されます。
これも時間が経てば、薄れていくでしょうが。
また近々実家にでも帰省しようと思います。

それでは。

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