母がうつ病になり、脳みその引き出しを開けまくった話
「ここ4日ぐらいまったく寝れへんねん。何が起こったんかわからへん」
とある秋の日。
聞き取れないぐらいのか細い声で、実家の母から電話で突然こう告げられた。
寝耳に水もいいところで、
「えっ、な…なに?どういうこと?4日って…少しぐらいは寝てるんやんな?だって4日も寝えへんとか無理やん」
と動揺しながら聞いた。
だってこの電話の2週間後には、母娘水入らずで旅行に行く予定だったのに。というか、この間まで普通に元気だったのに。
どういうこと?いったいなにが??
「いやホンマに寝てへん。うつらうつらしてるだけ。せやし体調悪いから、旅行はキャンセルしてくれる?ごめんな」
と。
よくよく話を聞いてみると、こういう状態だという。
●とにかく眠れない
●食欲ゼロでほとんど食べてない
●常に不安で胸が重くて苦しい
●人に会えない
●外出できない
メンタルの病気に詳しくない私でもわかった。
これはまぎれもなく、うつ病だと。
母の心のコップが溢れる
ちなみに母は専業主婦だけども、週5日ぐらいは運動やら習い事やらで人と会い、年に数回は旅行に行き、夫婦仲も良い。
だから私としては
「これからの余生はこのまま健康に長生きしておくれ~」
とのんきに考えていた。
だから今回の突然のメンタルダウンは「えっ???」って感じだった。
がしかし。
ちゃんと話を聞くと、突然ではなかったのだなとわかった。
我が家には何十年も前から抱えている問題があり、母はずっと悩んでいた。そして母自身の老化による気力の落ち込みや、近々ひかえている手術。追い打ちをかけるようにやってきたコロナ。
これらが母の心のコップに黒い水滴を落とし続け、最後の一滴がぽとんと落ちたときに、表面張力を超えて水があふれ出し、止まらなくなったようだった。
もともと母はとても繊細な人で、いつも小さなことに傷つき、くよくよするタイプ。そして人に迷惑をかけず、ひたすら真面目に生きてきた。
きっと今回のことは、その真面目すぎる性格ゆえに引き起こされたんだろうなと思う。
心配で土日に実家に様子を見に行くと、弱ったハムスターがゲージの隅で丸まっているかのように寝込んでいた。
「大丈夫?」と肩を抱くと、あまりの肩の細さにびっくりした。
母ってこんなに細かったっけ?小さかったっけ?
弱った母を前に、立ち尽くすしかなかった。
平気なふりをしていたけど、私もかなり動揺していた。
経験という名の引き出しを開けまくる
最初はもちろんショックだった。
が、「私が弱ってる場合じゃねえな」と1日で頭を切り替えた。
さて、今なにができる?私にできることはなんだ?
うーんと考えて私がしたこと、それは
「脳みその中の経験という引き出しを片っぱしから引っぱり出す」
ということ。
私は現在アラフォーで、40年以上の人生経験がある。しかも心が弱いゆえに、生きづらさを少しでも解消しようと、今まで色んなトライ&エラーを繰り返してきた。
だから脳みその中に、仕事や人間関係、プライベートなど、ありとあらゆるジャンルの経験の「引き出し」が存在する。
そして引き出しの中には、教訓めいたことが書かれたメモがパンパンにつまってる。
今回この引き出しを片っぱしから開けて、何か役に立つものはないかと、引き出しの中にあるメモを手探りでガサガサとかき集めてみた。
今回最初に開けたのは「聞くこと」とラベリングされた引き出し。
人の話を聞くのがうまくない私は、過去何冊も傾聴関連の本を読みあさった。その中で、「やっぱり、それでいい。」という本の中にあった思考法が、今回おおいに役立った。
本の中には「人は他人の話を聞いてるときに、自分の思考でいっぱいになる。しんどくならないためにまずは思い浮かんだ思考を脇に置こう」と書いてある。
これが母の話を聞くにあたって、私の助けになった。
というのも、病んでる人の話を聞くのって、聞いてる方も暗い思考に引っぱられそうになる。そして、ともすれば同じ闇に落ちて共倒れしそうになる。かといって明るく励ますのも、どん底にいる人には酷だ。
そこで、「聞くこと」って引き出しの中の「人の話を聞いた時に思い浮かんだ思考は、いったん脇に置く」というメモを思い出しながら、
「〇〇で、〇〇やねん。だから~、…」
というとりとめのない母の話を、この思考法で乗り切った。
何よりも私が一緒に闇落ちせずに、「支える側」であり続けるために。
そして次は「料理」という引き出しを開けてみた。
何も食べられないという母に、「蓮根のすり流し」を実家で作った。これは20代から通っている料理教室の先生から養生食として教わったもの。昆布とかつおの出汁に、すりおろした蓮根を入れて塩で味付けしただけの、胃に優しい回復スープ。
料理教室は「なにか会社以外のコミュニティが必要」と20代のころに飛び込んだ場所。まさか20年後にこんな形で役に立つとは。
翌日、母から「あれは飲めました、美味しかったです」とLINEがきた。よしよし。
次に「運動」という引き出しを開けてみた。
私は数年前から、オンラインでトレーナーさんから簡単な筋トレとストレッチを教わっている。
そしてコロナがはじまった頃、「身体がなまって困る」という友人向けに、知っているストレッチを週1回Zoomで教えていた。
このストレッチ会、なんと8ヶ月も続き、みんな「ストレッチって身体もだけど心にもいいね」って口々に言ってくれて。そのとき私は「運動」という引き出しに、「運動は心にもいいらしい」というメモを入れておいた。だから今回、そのメモを引っぱり出してきた。
が、母の身体が弱りすぎていて、ストレッチは断られた。そりゃそうか。
「もうちょっと身体が回復したら、そのときはお願いするわ」と言ってたので、とりあえずこのメモは「運動」の引き出しにそっと戻した。このメモはしかるべき時に取り出すことにしよう。
あと意外だったのは「副業」という引き出しの中のメモも役に立ったこと。(※私は会社員をしながら在宅ワークで副業をしている)
副業はうつ病となんの関係もないなと思ったけど、とりあえず引き出しを開けると、そこには「忙しさは、時に心の安定に役立つ」というメモが見つかった。
これはコロナがはじまった頃、社会全体が暗かったにもかかわらず、私自身は副業が忙しくて「は~忙しい~!」って充実した毎日を送れた経験から書いたメモ。
人間ってあまりに暇すぎると「考えても仕方がないことを考えすぎて負のループに陥る」ことがある。でも適度に忙しいと無駄に悩んでる暇がなくなる。
まさにコロナ禍初期の私は、忙しさによって心の安定が保ててたと思う。
今もふとしたときに「母は大丈夫だろうか」って思考に支配されそうになるけど、なんせ私はいま本業と副業で忙しい。常にやることが目の前にあるから、必要以上に考え込まずに済んでいる。
今の私は忙しさのおかげで負のループに陥らずにしっかり立っていられるんだな、とメモを「副業」の引き出しにしまった。
母がダウンしてから、こんなふうに私は自分の脳みその中の引き出しを引っぱり出し続けた。
悩んできた分たくさん引き出しがあって、それぞれのジャンルの引き出しには色んなメモが入ってた。失敗したり反省したりして、特にこれといった成功談のない引き出しもあった。
でも入っているメモは、全部目を通した。
一見うつ病と関係なさそうなメモも意外と役に立ったりして、ありきたりな言葉だけど、無駄な経験ってひとつもないよなあと思う。
若いときは経験が乏しくて、困ったときに自分を支えるものが何もなかった。
でも年齢を重ねて、たくさんの引き出しが自分をしっかりと支えてくれることを、今回あらためて感じることができた。
と、こんなことを書くと
「そんな必死で引き出しを作らなくても、人に頼ればいいじゃない」
って思う人もいるかもしれない。
もちろん誰かを頼ることも、すごく大事だと思う。「コミュニティ」ってラベリングされた引き出しもあるし、いつかそこにいる人たちの手を借りるときが来るかもしれない。
でも、と思う。
わたしはまず自分を、自分自身を一番頼りにしたい。
誰かを頼りたくないという意味ではなく、
自分一人で我慢して踏んばるという意味ではなく、
私が私を頼れる、ということが、今回一番の救いになったから。
若いころは自分の引き出しがなさすぎて、人や場所に依存してしまう自分が嫌いだったし、いつも足元がぐらぐらしていた。
でも今は「自分」が「自分」を一番頼れるから、私は倒れずに立っていられるんだと思う。
「発信」という名の引き出し
今回、身内のこととはいえ、うつ病というセンシティブな内容のことを書くのに多少なりとも抵抗があった。
しかも今のところ母の病状は安定してきているし、実家は父が献身的に色々やってくれているし、差し迫って困ったこともない。
そして特に誰かに泣きつきたいわけでも、同情してほしいわけでもない。
じゃあなんで書いたかというと、「発信」っていう引き出しを開けたら
「とりあえず発信すれば、それはいつか意味を持つ」
っていうメモが入ってたから。
Twitterやnoteで発信をはじめて4年以上経つけど、最初のころはたわいもないことを発信することに「これ、わざわざ言う意味ある?」って抵抗があった。
でも発信することで、価値観の近い人と知り合えて。複数のコミュニティに居場所ができて。副業もするようになって、新たな未来が拓けて…
発信することで、「意味がない」と思ってたことが、時間をかけて「意味がある」に変わったってことがたくさんあった。
だから今回のことも「別にわざわざ発信することでもないか」と思ったけど、やっぱり書くべきだと思い直した。
書いて、その先に何があるかわからないけど、とりあえず書いておく。特定の誰かに向けるわけじゃなくても、「いまわたしはこうですよ」と発信しておく。
そんな感じで今回のことを、そっとネット上に置いておくことにした。
そして今回のことからきっとなにか「意味がある」ことが見つかって、数年後にはまた、引き出しが増えることを願って。
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