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「たしかに。」

今日は、お花見とお散歩と娘の自転車の練習をかねて、地元の大きい公園へ。
たぶん、この週末が桜の一番のピークであろうこともあって、人がとても多く、あちこちでバーベキューが行われていて、私たちは燻されながらお散歩をしていた。
これだけ人がいたら、娘の同級生にも会うかもしれないなぁ、と、思っていたら、案の定、会った。

うちの娘が通う幼稚園の子供たちは、保護者にもたくさん話しかけてくれる。
それが、4つの園を見学して、そこの園を第1希望とした理由のひとつでもあった。
一方で、私は実は、子供がそんなに得意ではない。
けして子供が嫌いなわけではない。
ただ、幼い純粋な心を傷つけないように、モヤりともさせないように、満足してもらえるように、気に入ってもらえるように……などと考えると、袋小路にはまってしまうのだ。
それこそ生まれた時からそばにいて、大方の趣味や傾向を把握できている自分の娘については、ひとつもそんなことを感じない。
何をすれば嬉しいのか。
今、どんな知恵を働かせているのか。
何が苦手で、何が怖いのか。
……だいたい、わかっている、つもりだ。
同じ屋根の下に暮らしていて、私は今働いてもいて忙しく、つねに彼女を満足させられることはないのだけれど、そこは一緒に暮らしている分、あとからのフォローがきく。
ただ、よその家の子は、彼らのふだんの背景を知らないし、それが原因でもし私がなにか小さな失敗でもしてしまったときに、フォローするタイミングがない。
これが、娘を持った今でも消えない、子供への苦手というほどでもないのだけれど、まぁ、苦手意識の原因である。

案の定、娘の同級生は、私にもたくさんお話してくれた。
「こうした方がいいで!」とか
「これはこうやで!」とか
「ここから○○見えるねん」とか。
そのたびに、私は「そうか、それは『たしかに』いいね。そうだね。」とか答えていた。
そのときに言われてしまったのだ。

「なんか、『たしかに』『たしかに』うるさい。それやめて。」と。

とっても不快そうに。
夫が隣で苦笑いを浮かべていた。


ふり返ると、「たしかに」、私は『たしかに』を発していることが多い気がする。
文章を書くときもたぶん多用しているだろうし、仕事のやり取りなんかでは、結構な頻度で発している。
もちろん、娘との会話のなかでも、当たり前のように発している。
(今のところ、娘は私をマネして『たしかに』を発することはない。)

この『たしかに』。
実は失礼な言葉?
上から目線?

記事を書きながら、「たしかに」未就学児に対しては、『たしかに』よりも、「ああ、そうなんだぁ!」と初めて知ったように、感動したように振舞ったほうが良かったかもしれない、とは感じた。
実際、幼稚園の先生(特に副園長先生)なんかは、その辺がとても上手だ。
今後、よその家の子のみならず、自分の娘に対しても気をつけよう、と思った。

問題は、大人同士。
特に職場。
2年前までいた、結構話の合う(と、私が一方的に思っていただけかもしれない)上司も、私の発するトーンと同じかんじで『たしかに』を多用していた。
まぁ、相手は私にとって上司だし、私は部下だし。

問題は、ペーペーの私が上司と話し合いをしているとき。
今日はじめてハッとしたぐらいなので、私は絶対『たしかに』攻撃をしていたはずである。
「たしかに、おっしゃるとおりですね」とか。
「たしかに、こちらの案のほうが良いですね」とか。
これって、目上の人に対して失礼だったのだろうか。
急に青ざめてきた。
苦笑いしていた夫は、「特にそんなことはないとは思うけど」と、言っていたけれど。

「たしかに」、論文なんかでも『たしかに』という言葉は出てくるしなぁ。

まだ、答えはでていないのだけれど、今日少しひっかかりを感じた出来事だったので、忘れないうちに残しておこうと思う。
そして、とりあえず、分からないので、できるだけ『たしかに』は封印することを心がけよう。
日常生活においては、特になくても困らない言葉だろうし。

この『たしかに』。
あなたは、どう思われますか?

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