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X(旧Twitter)の推し専用垢に疲れたので全スルーしたら楽になった話

※この記事は以前ほかで書いていたブログの記事に少し手を加えたものです。

最初は楽しかったX(旧Twitter:以下X)の推し垢、だんだん見るのがダルくなってきた。

いつXを開いても見かける人には「暇なんだな」って思ってイライラするし、推しへの愛を叫びまくる人にも「暇なんだな」って思うようになって、タイムラインを見るだけでイライラ。

誰もが好きなように使えばいいX。

いつ誰がどんな投稿をしたって自由なのに、見ると腹立つのはいろいろ疲れてる証拠かも、と思って、いったん離れてみた。

タイムラインはざっと見るけど、今までみたいに「いいね」も「RP」もしないし、推しの公式アカウントすら反応せずスルーしてみて思ったのは、

・なんか、楽

・いままで妙な義務感があったのかも

・私、推し活に人との交流をそこまで求めてないかも

ということ。

最初はどんな投稿も「いいね!」と思ったら押してたし、「もっと多くの人に推しの魅力を伝えたい!」と思ったからRPしてた。

でも気づいたら、

・見たからには「いいね」や「RP」をしないと!

・推しの専用アカウントである以上、推しの公式アカウントの発言には反応しないと!

・推しが同じフォロワーさんの発言にもできるだけ反応しないと!

という義務感に変わってたみたい。

そりゃいつか疲れるわ。

もちろん交流してて楽しいときもある。

推しが同じ、という共通点は強い。

推しの新しい作品やパフォーマンスで盛り上がったり、絵師さんの作品に感動したり悶えたりしたのち、感想を伝えるほど仲良くないし勇気がないから「いいね」だけは100倍の力を込めて押す!とか。

それはそれで楽しかった。

けど、そういうのを全部やめてみたら、すごい楽。

あとフォロワーの発言にいちいち心が揺れる自分が、イヤになってきた。

複数のイベントやライブに行ける人、グッズをたくさん買う人、推しの配信をもれなくチェックする人。

時間もお金も有限のはずなのに、そこまで推しのことを優先できるなんて愛が深い。

私の推しへの愛は、足りなさすぎるのではないか。

こんな熱量でファンと言っていいのか?

とか思っちゃう。

熱量や行動力、グッズや円盤の数は他人と比べるものではないのに。

ましてやその大小でファンとしての熱量を測れるものではないのに。

そもそも、ファンとしての熱量ってなんだ?

多ければ多いほどファンの真髄ってこと?

それもおかしい。

体重計みたいに現実を受け入れることしかできないほどハッキリ数字で出るならともかく、そもそも「ファンとしての熱量」を測れる機械もないし、基準となる値もない。

ファンとしての優劣を測ろうとすること自体が、ばかばかしい。

それを無意識に測って比べようとしてたのは、まぎれもない自分で。

それに気づいたとき、心の底から自分がイヤになった。

あとは推しへの愛を何度も何度も過剰なくらいに叫んでたり、推しをすごく持ち上げたりしてるのを見るのも、なんか疲れる。

まるで神のようになんでもできちゃう万能な存在で、性格も人柄も最高!みたいに推しのことを崇め奉るの、私は好きじゃない。

もちろん悪口とか誹謗中傷になることは書くべきじゃない。

本人やスタッフの目にとまる可能性を考えたら絶対に書いてはいけないけど、そんなに褒めちぎるのも盲目な感じがして、正直引く。

これって同担拒否と同じことかな?と思ったけど、それも違う。

私だけの推し!独占したい!とはまったく思わないし。

最近、推しの新曲に関する情報解禁があってすごく嬉しかったけど、Xの推し垢界隈はすごい盛り上がってて褒めちぎっててハイテンションなんだろうな、と思ったら、それだけでうんざりして見る気をなくした。

新曲はすごく楽しみだしもちろん買うけど、Xの推し垢はもうどうでもいいかも。

推しのことは好きだけどファン界隈に疲れる、ってこと、本当にあるんだなあ。

というか、勝手に人と比べて落ち込んで勝手に嫌になってる自分が、いちばんめんどくさいかも。

結論:しんどいときはSNSを見ない、見ても全スルーする。いちばんめんどくさいのは自分の感情、という事実を忘れないこと。

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