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第2回目「最善主義」

2021年5月18日火曜日
第2回目投稿
唯李(ゆり)の気ままにさらりさらりと。
テーマは「最善主義」

私の知り合いに、本は読まない、読んでこなかったという方がいらっしゃいます。
私が若い頃、こんな本に出合ってこんなことを思ったとか、新しい発見だったとか、自分の無知さに恥ずかしかったとか、色々話したときにそんなことは一度も感じたことはなかったと話していました。

その方は大学を卒業されて社会人になられた方なので、勿論学業に必要な本は沢山熟読された方です。
趣味や余暇で本を読むことをされてこなかったそうです。
これからも読もうと思わないそうです。
私とはよく意見が対立する方なので、相容れることはないと思っていますが、その方を私は尊敬しています。
それを前提で、今回のテーマ「最善主義」についてその方の意見を基に書いていこうと思います。

では本題です。前置きが長かったですね。
その方は、新しいことや自分が今生きて行く上で必要ではない情報は自分には不要と思っているようです。
面白いと思いませんか。
これだけ情報が溢れている時代に、簡単に新しい情報を収集できる時代に、不要とはっきり思っているのですから。
究極の無駄が嫌いな人なんですね。
プライベートを知らないので、わかる範囲での私の感想です。

仕事は抜群にできる人です。
なんといっても無駄が嫌いなんですから。
スマートに業務をこなします。
話を聴いていると、余分な仕事は排除し、やるべき仕事だけを確実にやっていきます。
本当に無駄がないのです。

それがあるべき姿なのかもしれません。
労働の対価として得る行動としては。
サラリーマンの鏡…。

でも、私はそれだけでは成り立たないのではと疑問に思っています。
実際にそう感じたことも何度もあります。

私の話からその方が判断した結果、私の行動は余分な仕事を自分で増やしているのだと指摘します。
でも私はこれを行うことで手戻りしないのだから結果、会社に貢献できているのです。
会社にとって、無駄な時間や費用を発生させなかったのだから利益に繋がると考えます。
だからこれが私の最善です。

最善の行動と最善主義の違いであろうと思うのですが、無駄なことと捉えることができません。

その方からしたら、私がしなくても他の人がやればよいことだというのです。
他の人がやらないから私がやっていることを、私が範疇を越えているというのです。

業務としての捉え方が違うのです。
この業務範囲の考え方は、会社の方針というより、個人の考え方に偏っていると感じています。
明確な指針がない部分になるので判断が難しくなります。
自分の業務が手戻りしたとしても、誰も助けてくれるわけではありません。
これまでにも何度もこういう思いをしながら、リカバリーしてきました。
その経験から必要なことと私は認識しています。
今は、会社の仕組みを変える必要があると感じながら業務に取り組んでいます。

今回のテーマの最善主義という意味は、私の考え方でいくと最善ではないということになるのでしょうか。

エッセンシャル思考という考え方があります。
99%の無駄を捨てて、1%に集中する。
本当に重要なことを見極め、最高のパフォーマンスを発揮する。

その方は常にエッセンシャル思考で業務に取り組んでいることになります。
そう考えると、最善主義こそが効率的で会社に貢献できることにつながる。
疑問や矛盾を感じながらもそう結論付けてみました。

ビジネスにおける教本やマネジメントする人からすれば、私は最善主義にはなれないのでしょう。
私は常に最善を尽くしています。
と、いうより一生懸命という言葉が合うかもしれません。
これは誠意の怠惰に繋がるのかもと最近思い始めています。
誠意の怠惰についてはまた別の機会にします。
長くなってきましたので、これくらいでおしまい。

興味をもっていただけましたら、次回をお楽しみに。
色気のない真面目な話になりますが、よかったらお立ち寄りください。

今日のひとこと
「一生懸命は評価の対象にはならない。」

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一日の終わりにどうぞ。


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