商業を遠ざけてしまう前に。作り出すもののために。

「あれは商業だからさー…」

「私がやりたいのは商業じゃないし」

私は、演劇活動に近いところに、今も身を置いています。上の言葉は、私がそんな中で聞いた言葉で、実際に私も少し前までこんな風に考えていました。

アートの近くにいる方は、聞いたことのあるフレーズなのかもしれません。聞いたことないよ!という方、ごめんなさい。

ここでいう商業というのは、演劇でいう所謂「商業演劇」で、マイナーを経てメジャーになったものというよりは、元々有名な方々によって構成されているアート商品、というような印象ですね。

だから、既に存在するファンや話題性を狙ったもの、というような印象が強く、アート性が追求されていないのでは?という所に疑念を持たれがちなのかなと思います。私もそう思ってしまうこともあります。笑

ただ、私が今日書いているのはそういうことではなくて、自分がお金と強く結びついた企画に携わった時に感じた、アートの作り手は一度、アートを商業化できないか模索してみるのは良いことなんじゃないかな、ということです。

最初に言っておくと、商業化している、というのは私の中で、「人がお金を出そうと思い、そこから利益を得ることができる状態」のことです。

まず、「人がお金を出そうと思うレベル」ってめっちゃ高いと思います実際。だから「これを利益が出ることを目指して売ろう」と思ったら、超えなきゃいけない水準ってグンと上がると思うんです。中途半端は許されません。けどだからこそ、お金を出してもらうからこそ「作品を作る」から「良い作品を作る」に強くシフトしていけるんだと思います。覚悟にも近いかな。

更には、「商品」として世に出すことで、信じられないくらいのフィードバックが、あると思います。今まで関係のなかったたくさんの人からのたくさんのフィードバック。それは、自分の作品を商業化しようとしたことで自分の作品がたくさんの人にとって関係のあるものになった、とも言えます。中には受け取るには辛いものがあるかもしれませんが、少し時間をおけば、フィードバックから得られる本当に重要な改善点をきちんと把握することもできると思います。

もちろん、商業化ばかりを考えてしまえば大事なことを見失ってしまうこともあるかとます。だから、ずっと商業でやっていくとかそういうことではなく、一度自分の作品を商業の中においた時に、「人がお金を出そうと思えるレベル」であるかを思案したり、実際に商業として成り立たせようとしたりした時に、得られる学びは大きいのでは、ということです。

遠ざけることは簡単ですが、商業化を模索してみることに、大きな価値はあると思います。そういうことを考えることが上手な人に相談してみるのも、ありかと。自分では気づいていないけれど、世の中的に見れば価値のある部分が、あるかもしれません。

私は今年3月に、演劇公演の制作費用を募るクラウドファンディングを行いました。「価値がある!」と思った団体の方に対して、企画しました。

正直言って、非常に難しかったです。当たり前なんですけど。アプローチの仕方を考えるのはもちろん、一番難しく感じたのは、「たくさんの方の(高額にもなり得る)お金に関わることをするプレッシャーの中でやりきる」ことです。

これでいいんだろうか、と何度も自問自答をして、実際にファンディングを開始して、ファンディング中もたくさんの方にお会いしつつもっと良いものをお届けできないか、と常に考えていました。

そこにはもちろんたくさんの苦悩がありましたが、同時に、苦悩以上に得たたくさんの学びがありました。それは単に、読みやすい文章について、もありますし、人に受け入れてもらいやすい状態に持っていくための、色んなアプローチ方法もあります。

更には、それを通してたくさんの方との出会いもあり、そして今やろうとしている演劇に関するプロジェクトにも、繋がりました。

ちょっと視点を変えて、やり方を変えてみるだけで、得られることや出会いは、大きく増えると思います。

私も、そのせっかく得ることが出来た学びや出会いを大事に、また頑張っていきます。

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