貧相な顔立ち

「これね、枝豆とポテトフライの食べ放題、1皿しか食べなくても、別に注文するより少し安いんですよね。
ま、何十円かですけど。ははは」
「そうなんですか。
気分的に数十円でもいいですよね」


飲み放題に枝豆とポテトフライ食べ放題つきがいかにお得か、タツルさんは熱弁を振るった。
人なつっこい顔に浮かべた得意げな笑みに、まりかはやっとそう返した。
ないなー、と、思った。

10円20円を軽んずるわけではない。
ただそれを、マッチングアプリで知り合った初対面の女性にわざわざ言うこともなかろう、と、まりかは思った。
手帳に小さな字でびっしりその日の支出金額を書き込んでいた最初の夫を思い出して、帝王切開の傷口がピリピリ痛む気がした。

タツルさんは、古物商を名乗った。
家電や家具、楽器など中古品、それもほとんど壊れたようなのを手に入れて、修理を施し、ネットで売る。
そのために自宅から車で10分のところに事務所兼倉庫を借りている、とも言っていた。
商品にする品物を仕入れることも兼ねて、片付けや遺品整理の仕事などを回してもらうことがある、なんていう話もしていた。
福祉の仕事をするまりか、最低限の家電や家具を安く調達する必要があったり、施設に入って戻ってくる見込みのない高齢者のアパートの片付けを、とにかく安くやってくれる業者を探すことがある。

「仕事で片付けをしてくれる業者さんを探すことがあるんです。
何かあったら、タツルさんにお声をかけさせていただいてもよろしいですか」
「もちろんですよ。仕事、ください。
1日動くと、2万円が目安です」

仕事で必要な新しい資源ををひとつ確保して、ひと仕事した気分になった。

「いつも仕事を上るのは夜8時近くなんですけど、別に忙しいわけでもなくて、8時になるとスーパーのお惣菜に半額シールが貼られますよね。
それを待っているんですよ」
「時間が自由になっていいですね。
私なんて、6時半には父に夕飯を出さなくちゃならないから、値引きの時間まで待てないんです」

と、まりかは頓珍漢な返事をした。
お惣菜の半額、いいと思う。
フードロスもなくせるし、第一、お財布にやさしい。
でも、マッチングアプリで出会った初対面の女性に、得意げに話すことなのだろうか。
しかも、得意満面で。
ある意味、金銭感覚がよくわかってよいのかもしれないけれども。


まりかが月曜の夜、タツルさんと会ったのは、かのギターさんとも来たことがある居酒屋だ。

その日、まりかは体調の悪い伯父のもとにクルマで走るかもしれないからノンアルコールで、と伝えたのに、彼は飲み放題(枝豆とポテトフライ食べ放題付き)をわざわざ予約していた。
もともと、アプリに飲み友だちから始めましょう、とあったのに乗ったわけだから、異存はない。
でもねえ、きっと元は取れないわよと思いながら、まりかはファーストドリンクにカルピスソーダを頼んだ。
肝心なカルピスはグラスの底に沈んでいるようで、中途半端な上澄の炭酸水に辟易した。
マドラーがついていなかったから、かき混ぜることもできないまま、上澄を飲み続けた。
飲み干そうと思ったとたん、一気に甘いカルピスの原液が口の中に入ってきて、喉元がちくちくした。


タツルさんは貧相な顔立ちだった。
痩せ型のひょろっとした体型に小さな頭は、どうにも安定感に欠けた。
細い目と薄い唇は、アプリの写真では福山雅治を思わせないでもなかったけれども、会ってみると、鼻だけは北島三郎のようにどっしりしているのが、どうにもバランスに欠けた。
人の器量にケチをつける立場ではないけれども、どうにも居心地の悪さをかき立てるのだ。

きっと、自分に自信がないのだろう。
いえ、きっと自信満々に生きてきたけれども、あるとき、根こそぎ失ってしまったに違いない。
家族を失うという形で。
家族を養っていることをいいことに、家事や育児を妻に任せっきりにしていることに気づくことすらしない殿方。
ある日突然、荷物とともに妻子がいなくなって、いかに自分が無力だったかを悟った。
そんな顔だ。

「毎年、私のこだわりで、嫁と子どもたちを連れ出して、年賀状のために家族写真を撮ったんですよね。
家族全員の。
自分は会ったことのない子どもの写真より、友だちのいまの顔が見たいと思っているから」
「なるほど」
「でも、家族がいなくなったいま、年賀状なんてどうでもよくなっちゃいましたよ。ははは」

ユニクロの赤いコットンフランネルの胸元には、かなり強そうな老眼鏡が引っ掛けられ、ピンクのVネックのTシャツがのぞいていた。
ないなー、と、まりかは思った。
ファッションセンスは変えればいいのかもしれないけれども、着るものを変えても、この人のたたずまいが変わることはないだろうから。


緊張は人を饒舌にする。
3杯目の生ビールを飲みながら、タツルさんは仕事で関わったゴミ屋敷の話を続けた。

「ひとり暮らしの男性のワンルームは、とにかく全部、ゴミを捨ててくださいっていう依頼だったんですよね。
だから、コンビニ弁当のゴミや、ペットボトル、それから牛乳パックがやたらあったな。
貴重品を捨てないように気をつけながら、ひたすら片付ければよかったので、すごく割りがよかったんです」
「なるほど」
「でも、その次の週に行った若いお嬢さんは、いちいちいるものといらないものを聞いてくださいって、言うんですよ。
引き出しには見てはいけないもの、わかりますよね、その、ひとりでするときの道具とか入っていて。
知らない男にこんなの見られても大丈夫なのかなと思いながら、引き出しごと渡して、『いるものは分けてください』って言いましたけど」

自分の娘くらいの歳の女性の、おひとりさまでいたす相棒まで見つけた話を、タツルさんは会って1時間のまりかに熱心に語っていた。
話のタネとしてはおもしろいけれども、ここは恋人を探すマッチングアプリで知り合った中年男女の、お顔合わせの場である。


「あのう、そろそろ」
「あっすみません。とりとめない話ばかりして」

タツルさんは伝票を持って、レジに向かった。
1万円といくばくかの小銭を財布から取り出し、千円札のお釣りを受け取った。
シャツは毛玉のついたフランネルだけれども、ベージュの靴はぴかぴかに磨き上げられ、紺色の財布は柔らかそうな革製だった。

「あの、私はどうしましょうか」
「じゃ、3000円くらいもらいますね」

頼みたくもない飲み放題1800円と、さして特徴のない居酒屋メニューをつまんで、殿方の金銭感覚を2時間聞いた対価として適切なのだろうか、と、まりかは思った。
次はないなー、と、まりかは思った。
でも、仕事の上では大切なリソースだから、一応、お礼ラインくらいは送っておこうかな。

ふと、コウイチと初めて会ったときのことを思い出した。
あの日の卵焼きは甘くてふわふわでみっちりしていたけれども、今日のはずいぶん薄っぺらな味だったなと思いながら、タツルさんより一歩遅れてエレベーターに乗った。

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