恋の遺書をしたためる

「お気持ちが変わったか、ほかに気になる女性がいらっしゃるのでしょうか。
タカシからの気のないメッセージや、答えのない問いにくたびれました。

終わりにしましょうか。」


恋はコロナウィルス感染症のようなものである。
ぱあっと熱が上がり、さして続かないと見せかけて、さまざまな症状をもたらす。
頭痛、鼻風邪、咽頭炎。
節々の痛みに倦怠感。
最初の熱がセンセーショナルに上がって下がると、平熱のまま、辛い症状だけが続く。
まるで、相手の気持ちを探りあぐねてもがく心のように。


まりかは、恋の遺書を書いておくことにした。
遺書とは少々物騒な響きだが、心配無用。
もう耐えられなくなったときに、タカシに送る文面の下書きのことである。

タカシはひどく不器用な人だ。
とくにコミュニケーションにおいては。
職場では、調整役、あるいは緩衝材として、部下たちの心をつかんでいるようだが、こと恋愛においてはその限りではない。

わかっている、彼がまりかのことを嫌いになったわけではないことを。
ただ、彼がクジャクの求愛時期のようにストレートに愛情表現をしてくれなくなったことで不安になったまりかが、存分にメンヘラな部分を発揮していることに、少々引き気味なのかもしれない。
それとも、釣った魚に餌はやらない主義なのかもしれない。
あるいは、3人の子どもを抱えるシングルファザー、大手企業の管理職の仕事とあいまって、多忙を極めているのかもしれない。
おそらく、その全部なのだろう。


ただし、それはすべてまりかの憶測だ。
ひとこと、それ(ら)を彼がまりかに伝えてくれれば、こんなに不安な気持ちにはならないのに。


だから、もうこれ以上は無理と思ったときのために、恋の遺書をしたためたというわけだ。



「私はもっとタカシとなかよくなりたかったけれども、タカシはそうではなかったのかな、と、感じています。
ご自分のお気持ちに、正直になってくださいね。

社会的お立場のあるタカシから、精神疾患持ちのまりかにに、別れは告げづらいのかもしれませんね。
もっとも、タカシは私とつき合っているとすら、思っていないのかもしれないけれども」


書いていて、まりかは気がついた。
どれもこれも、まりかが一方的にこうしてほしい、と思ったことに、タカシがそのとおりに動いてくれないことへの不満なのだ、と。


彼は最初に会ったとき、たしかに言った。


「俺、次はいつ会える? って聞かれるの、苦手なんだよね。
会えるようになったら、まりかちゃんの予定を聞くから」

と。
何と勝手な人なのだろう、まるで1990年代の不倫じゃないのと思いながら、まあ試してみましょうか程度に考えた。
彼を観察してみて気がついたのは、これがただ彼が身勝手な人だからではない、ということだ。
彼は、ふたつのことを同時にすることがとても苦手である。
ごはんを食べながら話をすることができず、職場の人と昼食を共にして夢中になってしゃべっていると、いつの間にか自分だけ手をつけていないランチとともに残されてしまうほどである。
まりかからの質問も、ふたつのことには答えることができない。
悪意ではないらしい、ということが見えてきた。


それにしても。
対等に話ができていなくてさみしく思うこともあるし、質問したことに答えが返ってこなくてむなしく思うこともある。
彼は、まりかを抱いて自分のものにしたと思って、安心して、扱いが雑になっているのだろうか。
それとも、何かほかのこと、ほかの女性に関心が移って、まりかはどうでもよくなってしまったのだろうか。


「おはよう! 今日は超寒いね」
「おはようございます。寒いですね」


朝晩、何往復も交わしていたLINEは、いつの間にか朝のあいさつだけになってしまったし、退社してクルマに乗った彼が毎日のようにかけてくれた電話は、旅以来、一度もまりかのiPhoneを鳴らしてはいない。


それなのに、まりかが「私のダーリンが」というと、タカシは躊躇なく自分のことだと認識する。
つき合おう、とも言わなかったくせに。


1週間、連絡がまったくなくなったら、恋の遺書を送って、恋心を葬ろうと思っているのだけれども、今朝も定例のLINEが来た。
でも、明日の朝は来ないかもしれない。
来ないことを受け止めようと覚悟を決めるのが、寝る前の儀式になった。


しばらくは、彼から連絡があったときだけ、返信をしよう。
彼に聞かれたときだけ、聞かれたことだけ答えよう。
彼に聞きたいことは、しばらくそっと寝かせておこう。
そうするうちに、彼と歩くペースが見えてくるかもしれないから。


恋の遺書は、恋を生かすためのものだ。
恋であることに安住せず、恋を生きるためのものなのだ。



今夜も待っても、彼からのLINEは来ないだろう。
明日の朝も来ないかもしれない。
それでも、まりかは生きてゆくのだ。

サポートしてくださった軍資金は、マッチングアプリ仲間の取材費、恋活のための遠征費、および恋活の武装費に使わせていただきます。 50歳、バツ2のまりかの恋、応援どうぞよろしくお願いいたします。