伯父はもうこの世にはいない

「伯父と向き合う中で、いろいろなことに気づいたの。
伯父と伯母がどちらも認知症がすすんでも、おたがいのことを思い合う姿を見て、物質的なものはいつかは手放さなくてはならないけれども、精神的なつながりはずっと続くこと」
「うん」
「それから、自分がしたいことはすればいい、ということ。
両親には老人ホームに入ってもらって、まりかはまりかの人生を歩むぞ、って決めることができたのも、伯父との時間でまりかがまりか自身とも向き合うことができたからだと思う」
「まりちゃん、伯父さんにたくさんのことを教えてもらったんだね」


まりかのひとりごとのようなメッセージに、シイナはじっと耳を傾けてくれた。


トオル伯父が亡くなった。享年88歳。
今日明日の命と言われて3週間、奇しくも30年前に妹が逝った日に伯父も鬼籍に入った。
明日から旅に出るという日の夜中、まりかが眠剤を飲んでからだった。
本当は、身内なのだからドクターからの電話で駆けつけるものだろうけれども、眠剤を服用してしまったことと、翌日、どうしても動かせない予定があるからと、葬儀屋さんにじかに迎えに行ってもらう段取りをした。

だれに何と言われてもかまわない。
まりかが伯父の亡骸に会うためだけに旅をキャンセルしようとしたら、伯父はきっというだろう。

「いいよいいよ、これ以上、大丈夫だから。
旅にでも何でも行っていらっしゃい」

と。
都合のよい解釈かもしれない。
逆に、まりかにいちばん負担がかからないタイミングで逝ってくれたのかもしれない。

伯父と親く関わるようになって3年半、まりかは全力で向き合ってきたと言い切ることができる。
やり切ったと言い切ることができる。
すべての伯父の意向に寄り添えた、とは言えないけれども。


不思議と涙は出なかった。
その2日前、伯父のベッドサイドで、すっかり小さくなり、酸素マスクの中で苦しそうに息をする姿を見ながら、ひとしきり泣いてきたから。
まだ元気で、毎月片道2時間かけて通って、一緒に食事をした1年目。
何度も救急搬送されて、ついに医師からひとり暮らしを止められたのに、自宅に帰ると大暴れした2年目。
すっかり体調を崩し、施設でほぼ寝たきりになった最後の1年半。
その間、まりかをささえてくれたのは、福祉・介護・医療の専門職がずらりとそろう同僚たちや、ケアマネジャー、病院や施設の相談員とスタッフのみなさんだ。
たくさんの人たちに助けられながら、まりかができるだけのことはやってきたから。


まりかは、これ以上、よい娘でいることをやめると決めた。
父と母をまとめて老人ホームに送り込み、自分の人生を謳歌すると決めた。
その背中を押してくれたのは、ほかでもないトオル伯父なのである。
まりかちゃん、もういいんだよ、お父さんとお母さんのことも十分やってきたじゃない。
自由に生きなさい、と、ことばにならないことばで言ってもらった気がした。


葬儀は2週間後。
やっと斎場の予約が取れた。
甥と姪、4人だけで見送ることに決めた。決めさせてもらった。

もちろん、母は参列すると言い張った。
父は当然参列するものだと思っていた。
伯母の弟にも行かせてくれと言われた。

でも、すべて断った。

ただでさえあわただしい葬式を仕切りながら、年寄りたちの面倒を見る時間も余裕もない。
気心知れた従兄たちと、最後の盃を酌み交わすだけにさせてほしい。
まりかの反撃開始である。


伯父はいまごろ、葬儀屋さんの冷蔵庫ですごしているのだろう。
いえ、魂はもう、黄泉の国に行ってしまったのかもしれない。
伯父の枕元で、伯母の世話を一生すること、死後の手続きをひととおり請け負うことを誓った。
何も心配しないでね、と。



今宵は満月。
伯父はもうこの世にいない。
酔いが回るにつれて饒舌になる伯父はもう、この世にいない。
まりかを愛してくれた伯父はもう、この世にいない。
まりかはしばらく、事務手続きに忙殺されるのだろう。
本当の涙は、すべての書類の上での死亡が確定してから、まりかのほおをつたうのかもしれない。


マッチングアプリは、だれだか覚えていない殿方の着信通知をいまも、鳴らしている。
まりかは、メッセージの主のプロフィールを見返して、それらしい返信を送っている。
むすびは一生懸命、全身のグルーミングをしているし、いなりは音を立てて水を飲んでいる。
トオル伯父はこの世を去った。
私たちは現在進行形だけれども、トオル伯父は現在完了形だ。
生とはそういうものだ。
死とはそういうものだ。


伯父ちゃん、ごめんね。
死に際に駆けつけてあげられなくて。

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