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【読書記録】 「蝿」横光利一

横光利一の短編小説「蝿」の考察を記録する。

この作品のテーマは大きく2つ、「存在の逆転」と「アンチドラマ・不条理」だと思った。

【テーマ1】 存在の逆転

通常であれば、人間と蝿の立場の関係性とは、「優れた存在の人間が、矮小の立場の蝿の命を呆気なく断つ」となっているように思う。

しかし、この作品では、最後にこのような描写がある。

そうして、人馬の悲鳴が高く一声発せられると、河原の上では、圧おし重かさなった人と馬と板片との塊かたまりが、沈黙したまま動かなかった。が、眼の大きな蠅は、今や完全に休まったその羽根に力を籠こめて、ただひとり、悠々ゆうゆうと青空の中を飛んでいった。

横光利一「蝿」 青空文庫

これは、崖から人を乗せた馬車が墜落し、馬車に乗っていた人たちが亡くなり、馬車の上に乗っていた蝿が人間たちを置いて飛び立っていくシーンだ。
あまりに呆気なく表現されすぎて、人間が事故で亡くなっていることを一瞬理解できなかった。
つまり、本作で人間と蝿の関係性は「矮小で呆気なく死ぬ存在の人間を観察する立場の蝿」となっていて、印象的な立場の逆転が起こっている。

蝿は複眼で眼球が大きいので、視野が広い存在というモチーフで使われたのかもしれない。


【テーマ2】 アンチドラマ・不条理

先ほどテーマ1で引用した箇所は、この短編小説のラストシーンで、何人かの人間が乗っていた馬車が崖から墜落して、馬車の乗客が亡くなったというシーンだ。

この馬車に乗っていた乗客にはそれぞれ事情があることが物語では描写されている。危篤の息子を助けようとしている母親、駆け落ちしようとしている男女、乗車理由は様々で、それぞれに未来の可能性がある状態で、彼らは等しく馬車の発車を待ち、乗車する。

しかし、馬車を運転する馭者が運転中に居眠りしたことによって、馬車は墜落して、乗っていた乗客たちはもちろん、運転していた馭者の未来も一瞬で無くなってしまうのだ。なんでもない日常が突然終わりを迎える。未来ある人間が死ぬ瞬間は私たちの身近にも多々あることだが、その多くは、この世に存在する数多のストーリーのように劇的ではない。そんなことを思い知らされる終わり方だ。


人間という存在は人間が思っているより矮小で、人間の最後はずっと不条理なものなのかもしれない。
そんなことを考えさせられる興味深い小説だった。


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