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セトモノとセトモノ

恋がうまくいってないとき、相田みつをさんの美術館に行って、これを見て、私は絶対「やわらかい心」の持ち主になろうと思ったんですけども。


どうやら、私にはそんな器はなかったようです。私も相田みつをさんと同じです。

やわらかい心ってなんなんだろう。要は、我慢して相手に合わせろってことじゃないの。
「だいじょうぶ」って何がだいじょうぶなんだろう。衝突が起きないってことだろうか。自分の本心を押し殺してまで、衝突を起こさないことに、そんなに価値があるのだろうか。

私は、「やわらかい心」をもとうとして、「すぐこわれ」ちゃいました。


「こわれちゃう」もののうち、人間関係をとるか自分をとるか。


どっちみち「こわれ」てしまうのなら、
私は「セトモノ」として生きるわ。と思ったのは数年前。


最後の
「そういう私はいつもセトモノ」
には、
「まっ、そんなの理想論なんだけどね。言うてる自分も、できてませんけどね」
という人間らしさが垣間見える。


だいたい
「やわらかい心をもちましょう」
などと意識をして、みんないつもそうなれるなら、争いごとなんて起こりませんよね。


けど
たまにでいいから、この理想論を思い出して、自分に余裕があるときだけでも、「やわらかい心」をもって、「セトモノ」さんを受け止めてあげよう…

そういうみんなの小さな心がけが、争いごとを減らしてくれるかもしれない…

今の自分は、そう解釈しています。

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