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子どもはやっぱり子どもだった。後編

ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。


さて前回のつづきです。


このnoteを読んでくださっているママに


私は(自分の)子どもを信じていません


なんていうママはおそらくいないんじゃないかな?と思います。



もちろんわたしもそのひとり。

息子を信じ、息子の想いを出来る限り尊重しています。



だけど、今日は、

この「我が子を信じる」気持ちも

時に、しすぎ・過信に気をつけなければいけない。


バランスに注意だな。


なんて気付くことの出来た出来事があったので

どこかにいるかもしれない

おんなじような私みたいなママ
そして
自分自身の忘備録としても

シェアしたいと思いました。




数日前のことです。

叔母(私の妹です)が大好きで、とても懐いていてもはや親友だと思い込んでいる息子。


突然に、

『今日はコトミ(妹)のおうちで寝る!』

と言い出しました。



とは言え息子はまだ3歳

さすがに夜中の授乳等はありませんが

朝はぐずぐず起きることもあるし、

万が一夜中に起きてしまった時は
ママがいないときっと泣いてしまいます。


それに加えて
私も夫も妹も翌日は仕事。

息子は保育園に行かなければならず。

妹に保育園の送りまでお願いするわけにはいきません。



私「本当にコトミのお家で寝たいの?」

息子「うん。」

私「ママもダダも明日はお仕事なの。」

息子「うん。」

私「コトミのお家で寝たいなら、ひとりで行かなきゃいけないの。」

息子「うん。(まじか・・・)」

私「それでもお泊まりしたいの?」

息子「うん。(だって遊びたいし)」



子どもに自分で選択させること
をとても重要視している私は

いつも
今までも
この時も


親(妹)の都合よりも

息子の気持ちを優先してあげたい。あげるべきだ。

と思っていました。


その為に

・泊まりに行くということは夜起きてしまってもママもダダもいないこと

・私たちは仕事があるので本当に行きたいならば一人で行くしかないこと

・保育園にも妹と行くこと

この3つを真面目に説いて、

その上で

あなたがどうしたいか決めなさい。

ということを本人に委ねました。


まだ3歳の子どもに選択の責任を委ねるなんて厳しい。

と、思う方もいらっしゃるかもしれませんが

(私も心では、

自分で決めさせるなんて難しいかな?
なんてちょっとは思ってはいるのですよ。)



じぶんの言葉に責任を持った人間になってもらいたい
という親としての想い

また、前半のnoteでも少し触れましたが


自分の選択を親にし続けてもらっていたことで
自分のことすら自分で決められない
という自分自身に対するコンプレックス


(こうして書いてみると勝手ですね。)


というような背景があっての、私なりの行動です。


そして何より一番大きな気持ちはもちろん

子どもを信じて
子どもの希望を一番に通してあげたい


という親心


信じてあげたいから、自分で決めさせてあげたい。


その想いから来る

「どうしたいの」

私にとっては
息子への思い遣りのつもりの

「どうしたいの」

でしたが、


起きてもママがいないこと

ひとりで行かなくちゃいけないこと

諸々の見通しを立てることが出来なかった

『やっぱり3歳の息子』


(俺が泊まりに行ったら)
誰が迎えに来るのぉおおおおおぉぉぉぉぉおおおおお
(どうなっちゃうのぉおおおおおぉぉぉぉぉおおおおお)


と、おっっっきな声をあげて泣き出しました。





そしてそれを見ていた妹がこんなことを言いました。

「自分もあまり頭が良くないから(息子の)気持ちがわかる。

何がしたい、どうしたいか、よりも

どうして良いか分からなくなっちゃったんじゃないのかな?




私はハッとしました。



そしてその時思ったのです。


 

そっか。この子はまだ子どもだった。


生まれてたった3年の子どもだった、ね。

って。


恥ずかしいくらい
極々あたりまえのことなのですけれどね。




長男は産まれた時からほとんど手がかからない子どもで

私は小児科で

「赤ちゃんって大人に気を遣うことがあるのですか?」

と大真面目に聞いたことがあるくらい。(!!!)


精神的な成熟もとても早いし

ママの言うことをいつもしっかり聞いて
(そして大体のことを理解して)

弟にも優しい立派なお兄ちゃんをやってくれていて

本当に自分の子だろうか?と疑えるくらいに

良い子に育ってくれました。



でも私は

それを信じて、信じすぎて、

息子に頼り過ぎて、


まだたった3歳の息子に


気がつかずに、

重過ぎる荷物を背負わせていたこと
もあったのだろうか?

あったのかもしれない。


と、思いました。



英語で表現するならば、

I am taking him for granted.
(当たり前と思って見過ごす、というようなニュアンス)

というような。


ガツンと頭に衝撃を受けたような、
そんな感覚を覚えました。



そのあとは、

妹のアドバイスに従って

大泣きする息子を抱きしめながら



ママとダダはあなたと一緒に寝たいな


と優しく伝えてから

もう一度、息子の本意を訪ねてみると



「もうすこしあそんでから家でママとダダと一緒に寝る。」


と言いました。



・・・

そっか。


ただ、

もうちょっとだけ遊びたい

というだけの気持ちが

「お泊まりしたい。」

という言葉になって

ただ気軽に言ってみただけなのに

なんか思ったよりもオオゴトみたくなっちゃって


ひとりで行かなきゃいけないってどういうこと?

ママがいないって何?

いつになったら誰が迎えに来るの?

え?え??え?????
(もうパニック)



わぁぁぁぁぁあああああん!!!!!!!!!



って、なっちゃったんだね。



どうしたらよいかわからなくなっちゃったんだね。


まだ3歳だもんね。



子ども
だったんだね。





分かっているつもりだったけれど

あんまり賢くて頼りになるから

ママは

君が
まだまだ3歳の子ども
だということを

忘れそうになっていたよ。




信じきっていた?

頼りきっていた目の前の息子が

たったのまだ3歳だという事実を
改めて痛感したことで


苦い罪悪感のような感覚を感じながらも



まだまだまだまだ可愛い可愛い3歳の子どもだと
改めて実感したことで


なんだか


ホッ
としたような


安堵感に似たようなものを
同時に感じて


(なぁ〜んだ。
この子は子どもだけどすべて分かり切っているから
いつも気が抜けないと思っていたけど
なんだ、まだまだお子ちゃまね!みたいな。)


目の前の可愛い可愛い長男が

いつもの何倍も愛しく思えました。




ママでいることって

毎日まいにち子どもと一緒に過ごすから

時々、当たり前のことすら忘れてしまいそうになりませんか?


まだまだこんなに小さい赤ちゃんみたいな子どもなのに。


日々の成長を焼き付けるのに必死で

気が付いたら時がこんなに過ぎていた。


でも、

まだまだ

焦らずゆっくりのんびり


成長を見ていても良いんですよね。




もう3歳。

まだ3歳。






いつもありがとう。


Thanks for being you.  


子どもはやっぱり子どもでした。 で、いいのかな^ ^










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