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しとしと雨の日

朝、目覚めたとき、しとしと雨が降っていると、
「嗚呼、雨かぁ」と思う反面、その雨音に耳を傾けたりして、
気づけば心が落ちついており、また気づくと紅茶を入れていたりして、

あれ、私、なんだか愉しんでいるな。と思ったりする。

しとしと雨の日は、いつもより丁寧に過ごしたくなる。
晴れていたら「出かけたくない自分」が厭いになるけれど、
雨が降っていたら「出かけられない自分」になって、
お城に閉じ込められたおひめさまみたいな気分で過ごせるからだろうか。

閉じ込められていたら、ゆっくり紅茶でも飲むしかないわよね。
なんなら、ずっととっておいたお菓子を食べるべきかもしれない。

普段はバタバタして丁寧な暮らしなんてできようもないけれど、
雨の日はなぜか、「雨だから」を理由にできてしまう。
雨だから、家の掃除でもするしかない。
雨だから、ずっとできてない写真の整理をするしかない。
雨だから、ずっと書けていない遠くのあの子へ手紙を書くしかない。
「しゃーない」という謎の優越感に浸らないと何もできないのか。
そんなひねくれた自分がこわい。でも、やっぱり愉しい。

もちろん、どんな雨でもいいわけじゃない。
ザーザー雨や、風をともなうゴーゴー雨は、煩くて心がざわつくし。
耳を澄まさないと聞こえないくらいの、車が濡れた道路を走るシャーっという音で気がつくくらいの、しとしと雨であることが重要なのだ。

窓をぜんぶ閉め切って、暖房をつけてぬくぬくあったかくして、
好きなお茶を淹れて甘いお菓子を食べていると、
ずっとここにいたい。このまま家と同化して溶けたい。
と思ってしまうくらい心地よいけれど。

でも、次の日、目が覚めて、
おひさまがキラキラして空が青く澄んでいたら、
きのうのしとしと雨のことなんてすっかり忘れて、
閉じ込められたおひめさまだった自分のことなんてすっかり忘れて、

勢いよくドアを開けて、外に飛び出して行ってしまうのだ。

次はいつ出会えるかわからないけれど、
束の間のおひめさま時間をありがとう。

毎日はちょっと厭だけど、でも、またきてね。


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