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今日見た空を伝えたくなる

空の色を眺めることが好きだ。

働いている職場はビルの最上階で窓が大きい。空間の中で他に気に入っている部分は沢山あるけど、個人的には窓の大きさを一番気に入っている。もうすぐ移転するのだけど、移転先のビルは更に窓が大きくなることを知り、なんだかそれを心待ちにしている。

職場内では大体いつもばたばたとしているのだが、ふとした瞬間に窓の外を見ると、空が一定の熱を帯び淡いグラデーションになっていることがある。そんな時、私はいつも仲良しの総務の女の子のそばに近寄っては「ねえ、見てください、今日の夕陽がすごく綺麗」「わあ、本当ですねえ」「きっと明日も晴れるんでしょうね」「ですね」だなんていうたわいも無い会話を多々交わす。気を張って少し小さくなった心を優しくほぐせる幸せな時間でもある。


空の色合いから伝わる時の流れというものは儚い。同じ月日の、同じシチュエーションの、同じ空。二度ともう無い。シャッターを切る。大抵は誰かに送ることなく自分の携帯フォルダに残り続ける。もしかしたら自分から人に送ったことはほとんど今まで無いかもしれない。はたまた、気が向いたらたまにSNSに載せるくらいだ。

それでも、本当にごくたまに誰かに送りたくなる時がある。送りたくなる瞬間がある。私はその行為について考える。

ただただ夕陽が綺麗だということ。伝えたいという欲求にその瞬間言葉にすることができないそのひとの想いを乗せる。私には残念ながらそこを明確に感じ取れるほどの超能力は持ち合わせていない。むしろ、持たなくてよかったと思う。


現実と想像の間(あわい)の中で行ったり来たりする「それ」を愛おしむ気持ちそれだけでもう心は満たされてしまう。


明日、どんな日になるだろう。どんな空に触れて、そしてその記憶と記録を送りたくなるひとは誰なんだろう。そんなことを思いながら夜は明けていく。4時30分。外はまだ真っ暗だ。瞳を閉じる。

今日見た空を伝えたくなる人。そばにいる人だとは限らない。むしろその行為は物理的な近さではなく精神的に近くないとできないのかもしれない。一方通行の思いではなく、互いの心に流れている近さをそっと感じていたいのかもしれない。なんとなく。送ったり送られたり。それをこうして、思い出したり。




いただいたサポートで、明日も優しい気持ちで過ごせそうです。