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話さなくてもいいから


相手が話をしたそうな時は、存分に最後まで話してもらいたい。しかし、言葉に詰まっている時や、これ以上深く話すのじゃどうもしんどいだろうな、という時は「うん」とひらすらに受け止め、それ以上は深くは聞かない。なんでもざっくばらんに話せる関係性は大事だが、そもそも対話とは話を聞く・話すことよりも、ただその場で共にいることの方が本質なのではないかと大人になってからより感じるようになった。


椅子に座って目と目を合わせて話をするのもいいが、どちらかというと目を合わせなくても、同じ景色を見ながら話をする方が、私は安心して話ができる。話を聞いてもらうのが目的な場でも、色々考えているときや、言葉を丁寧に選びたい時はすぐに言語化できなくて当然だ。無理に言葉にしなくてもいい。言葉にできる時でいいし、言葉にしない方がいいことだってあるから、本人のタイミングでいい。その景色が街の雑踏であろうと、美しい海山であろうと、対話にストレスを感じにくい空間づくりは、どんな関係性においても大事だと思う。そういう意味では、ドライブデートってちょうどいいのかもしれない。


「何かがあれば話を聞きますよ」と言ってくれる優しい人が私の周りにはたくさんいる。それでも、話を聞いて慰めてもらいたいという欲求は正直なところ自分としてはそこまでなくて、私が話をしたい時は経験者への具体的な相談か(ついでに共感してもらいやすいのもあるが)、軽めの悩みに対して、友人からの客観的な視点がほしいことの方が多いので、話をしなくても、ただただ一緒にご飯を食べてくれること、散歩をしてくれることだけで割と満たされる。何かをするでもなく、ぼーっとするだけでもいい。


それだけでいいの?と言われそうだが、それが一番嬉しいことでもあるのだ。幸せ者って、こういう人間のことを指すのだと思う。ただ静かにそばにいる、ということが最も人間関係において難しい。でも、そばにいる。ということを叶えていきたい。距離なんて関係なく。



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