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教科書だけで解く早大日本史 2021社会科学部 15

すっかり難関学部になってしまった社学ですが、早稲田のなかでも伝統学部とはまた違う魅力のある学部ですので、受験生のみなさんにはぜひとも挑戦してほしいです。「お前を蝋人形にしてやろうか」などと脅してくる先輩はいませんから安心してください。

さて、2021社学編もあと2回です。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

〇問5 年代整序 古い順

① イギリス公使館焼き討ち事件
② 薩英戦争
③ 東禅寺事件
④ 生麦事件
⑤ ノルマントン号事件
イ ③→④→①→②→⑤
ロ ⑤→①→④→②→③
ハ ①→③→④→②→⑤
ニ ⑤→①→②→④→③
ホ ④→②→①→③→⑤

⑤のノルマントン号事件のみ明治に入ってからですが、残りは幕末期の攘夷事件およびそれに伴う戦争となっています。関連性でいうと、生麦事件が薩英戦争のきっかけになっていますので、④→②の並び順は絶対です(間に何か入る可能性はあり)。また、⑤が最後なのも確定です。

それでは、その他も含めて年代を確認しておきましょう。

③ 1860(万延元)年、ハリスの通訳であったオランダ人ヒュースケンが江戸で薩摩藩の浪士に殺され、さらに翌年、高輪東禅寺のイギリス仮公使館が水戸脱藩士の襲撃を受けた(東禅寺事件)。1862(文久2)年には、神奈川宿に近い生麦で、江戸から帰る途中の島津久光の行列を横切ったイギリス人が殺傷され(生麦事件)、同じ年の暮れには品川御殿山に建築中のイギリス公使館が高杉晋作・井上馨・伊藤博文らに襲撃されて全焼した(イギリス公使館焼打ち事件)。生麦事件はのちに薩英戦争をまねく原因となった。(254頁 脚注③)

③東禅寺事件(1861年)→④生麦事件(1862年)→①イギリス公使館焼打ち事件(1862年暮れ)でした。

②の薩英戦争は、④生麦事件の翌年1863(文久3)年です(256頁)。

最後に、⑤のノルマントン号事件は1886(明治19)年です。井上馨外相による条約改正交渉が極端な欧化主義として批判されている時期に起きた事件でした。イギリス領事による海事審判でイギリス人船長の過失が問われないという判決に世論の反感が高まり、井上馨外相は辞任に追い込まれます。

若き日に伊藤博文とともにイギリス公使館を焼き討ちした井上馨が、その後、イギリスに留学し、イギリス人の起こした事件によって外相を辞任するというのも興味深いところです。

また、伊藤・井上という中期以降の明治政府を支えた元勲(元老)が、若き日は攘夷実行のテロリストだったというのも興味深いです。


◎問6 空欄補充 組み合わせ

イ a アメリカ b オランダ c イギリス d 中国
ロ a イギリス b アメリカ c オランダ d ロシア
ハ a ロシア  b アメリカ c アメリカ d ロシア
ニ a アメリカ b アメリカ c イギリス d ロシア
ホ a ロシア  b イギリス c イギリス d 中国

【史料B】と【史料C】の空欄a~dに国名を入れる問題です。

【史料B】では、「異国船渡来の節取計ひ方、前々より数度仰せ出だされこれ有り。( a )船の儀に付ては、文化の度改めて相触れ候次第も候処、( b )の船、先年長崎において狼藉に及び、…」とあります。

「文化の度」とありますので、元号が「文化」の時代に来航した外国船および、「先年長崎において狼藉」した外国船ということになります。

文化期にたびたび事件となったのはロシア船です。1792(寛政4)年にラクスマンが根室に来航した後、1804(文化元)年にはレザノフが長崎に来航します。これに対して幕府は冷淡な対応をしたため、レザノフは樺太や択捉島を攻撃しました(文化の露寇)。ロシアとの関係は1811(文化8)年から1813(文化10)年にかけてのゴローウニン事件を経て改善されます。

また、同時期に長崎で狼藉をしたのはイギリス軍艦フェートン号です。

 北方での対外的な緊張に加えて、さらに幕府を驚かせたのは、1808(文化5)年のイギリス軍艦フェートン号の長崎侵入であった。フェートン号は、当時敵国になったオランダ船のだ捕をねらって長崎に入り、オランダ商館員を人質にし、薪水・食料を強要してやがて退去した(フェートン号事件)。(236頁)

この時期、英仏は世界各地で争いをしており、ヨーロッパでオランダがフランスに征服されたことから、アジアでの事件勃発となりました(北米でも戦争になっています)。長崎奉行の松平康英は自刃、長崎警護の義務をもつ佐賀藩主も処罰されました(236頁 脚注②)。

( a )はロシア( b )はイギリスということで正解はに決まりますが、( b )のイギリスは間違いないところとして、( a )のロシアは判断材料が「文化」だけですので、保留にして次に行きます。

【史料C】では、「近来( c )国王より( d )帝に対し兵を出して烈しく戦争せし本末ハ、我国の舶、毎年長崎に到て呈する風説書を見られて既に知り給うべし」とあります。

風説書とは長崎で提出された外国情報が書かれた文書でオランダ風説書、唐船風説書などがありました。「( c )国王」が「( d )帝」に兵を出して戦争したというだけではやや判断に困りますが、選択肢を見ると、( c )にはイギリス、オランダ、アメリカがあり、( d )には中国、ロシアがあります。そもそもアメリカには国王がいないので( c )のアメリカは不適。オランダとロシア、イギリスとロシアの戦争の情報を風説書で得ている可能性は排除できませんが、これはどうみてもイギリスと中国の戦争=アヘン戦争のことです。

( c )はイギリス( d )は中国でした。

そもそもフェートン号事件で( b )のイギリスが確定的なので、やはり正解はです。

史料の空欄補充は「教科書」だけで解きにくい問題ですが、この問題は◎評価でよいでしょう。


次回、2021社学編の最終回です。

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