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トランスサタニアンとは何か?

天王星・海王星・冥王星の3つの天体をトランスサタニアンと呼びます。
これらの星の全貌は、実際のところ、星読み界隈においても、あまり深い認識がなされていないように感じます。特に、冥王星については、ユリシス自身、最も体感が得にくい天体だと感じています。


そもそも名称がすごいですよね。トランス(超える)サタニアン(土星)、つまり、土星を超えた星たちーーです。土星を超えるとはどういう意味でしょうか?物質や現象を超えたところにある意識世界を顕わす星。アクエリアス時代の主軸となっていくであろう星。無限の可能性を秘めた真の自由を示す星・・・様々な表現ができます。


地球人生の初期設定プログラムを超えたところからようやく発動する星たちーー私の認識を一言で表すとそうなります。なぜなら、トランスサタニアンの意識をいよいよ体感する時は、プログラム(ホロスコープ・青写真・自我としての自分自身)を超えた時だからです。


太陽は生きるエネルギーであり、魂そのものです。これはいつも感じることができます。月は集合無意識(恐れや不安)であり、太陽意識から離れた瞬間、いとも簡単に私の中に入り込んできます。そして、私の主体性(創造権)を奪っていきます。


金星は悦びであり、繋がりを感じたり、地球と共振した時、あらゆる真善美を感じた時、その甘い感覚に満たされます。水星は大活躍です。ブログを書く時もコミュニケーションをする時も、リーダーとなって働いてくれます。このように、土星までのすべての天体意識は当たり前に感じて生きています。そして、それを使っています。


しかし、天王星を使う時、海王星が立ち上がってくる時は、少し違うのです。特に、冥王星はほとんど意識されることがありません。しかし「あれは紛れもない冥王星意識だった」と感じた体験が何度かあります。


集合意識なるものに対して、或いは、私をコントロールしようとする全ての力に対して、凄まじい怒りと自己存在への尊厳が湧き上り、掛け値なしに何も怖くない状態になったのです。すべてを捨てても構わない、喜んで自分以外のすべてを捨ててやると思いました。あの時の万能感というか、絶対的自己肯定感、湧き上る生命力は尋常ではありませんでした。


トランスサタニアンの王様は冥王星だと思うのです。それはつまるところ「究極の自由意思」です。自ら決めてきた地球人生のプログラムさえ、超えてしまう地点があります。そこに到達できるのは「自由意思・絶対的自己肯定感・自分への信頼」ーーそれだけです。(冥王星とは地球ゲームの管理者とも言えそうです)


占星術における天体とは意識のことであり、どこか遠い空のかなたにあるものではないのです。そのような認識が少しでもあるならば、それは土星までの世界のお話になります。土星までの世界で様々な体験をして、地球人生を遊ぶ、それがこれまでの時代。それは初期設定プログラムの範疇です。


プログラム=地球ゲームの外に出て、自由に自分を生きる時代が始まったと感じています。そのためには月を超える必要があります。月とは集合意識のことです。集合意識とは不安・恐れ・嫉妬です。自分には力がない。自分の現実を変える力などない。世界やシステムの影響を受けて、受動的に生きるしかない存在なのだと感じさせる力が「月」です。


外側なんてエンタメなんです。私たちは二元性という幻想を通じてしか学ぶことができません。だからこそ配置された「善と悪・右と左・外側と内側」という単なるアミューズメントです。戦争、ウイルス・経済危機・あらゆる災害。それは外側のスクリーンに映し出された映像のようなものです。その映像は集合意識が映写機となって現れた投影です。


投影とは影です。光とは私たち自身です。外側に主導権を明け渡すことを通じて、それを延々に体験することを通じて、やがて「自分自身」に還ってきます。必ずそうなります。なぜならいつか必ず「ばかばかしい」ことに気がつくからです。底の抜けたバケツのように、延々に外側の情報から「恐れ・不安」が湧き上り、その不安から逃れるために、再び次々と情報を探します。


それが月の意識なのです。何も難しいことはありません。太陽とは自分自身・自由意思です。月とは自分以外・自己不信です。月という集合意識から離れるには「独り」になることです。物理的には不可能に近いですが、精神的に独りで立つことはできます。


私は地球人生はゲームだと思っています。ゲームの管理者には善も悪もないのです。ただ、地球という体験と学びの場を維持管理しているだけ。トランプが善でDSが悪ーー例えば、そのような認識も、実際は事実ではないでしょう。というより、そんなのどーーでもいいですw善も悪も何のために存在しているのかという「俯瞰した視点・創造主の視点」こそ実用性があり、私たちをよほど幸せにするでしょうから。


単に、私は自由に生きたいのです。誰からも私の在り方を決められる道理はないですし、自分たちの思いのままにコントロールしようとする古い世界を野放しにするつもりはないです。だから、外側がどうあれ、私は私の世界を自分で創造します。


外側に視点を合わせ一喜一憂する。自分の幸不幸や未来さえ、外側に主導権を与える。それを止める時、トランスサタニアンが立ち上がってきます。そして、そのためには集合意識と自分を切り離すことです。集合意識と一体化している限り、決して主導権は戻ってきません。


なぜなら、その立ち位置は月の視点だからです。太陽の視点では、すべてはエンタメであり投影であり、魂とはそんなことをすべて超えた場所にあるのです。外側がどうあろうが、それがどうした?すべては私が創造します!という視点に立つこと、それが地球ゲームのステージを繰り上がらせる唯一の方法です。不安や恐怖ではなく、完全自己信頼と自由意思です。


ここからは私の戯言と想ってお読みください。なぜ、一人一人に違う外見を持った月が与えられたのか?・・・


月理論の視点では、12スタイルの月があります。しかし、ハウスも違えばアスペクトも違います。同じサインの月でも現れ方は様々です。大元が共通していても、実際には無限のバリエーションがあるでしょう。そのような仕組みが存在しているのは「思う存分、地球ゲームを楽しむためであり、やがて、これがゲームだと気が付くための布石」です。


ひとりひとりの内側に「集合意識のかけら」を忍ばせておくことで、やがて、それが外側からやってきた不安や自己防衛反応であり、本当の自分とは全く違うのだ、私たちは太陽であるんだと、そう気が付くことができるからです。


月がなければ、太陽が輪郭を持たないのです。悪がなければ善がわからないことと同じです。苦しみがあるから喜びが際立ち、支配やコントロールがあるから、私たちは創造主に戻ることができるのです。


地球ゲームのステージを上げて、桁違いのトランスサタニアンの世界で遊びたいですね。月はそのための布石でしかありません。シンプルに生きましょ☆



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