見出し画像

自立と依存~太陽と月

太陽は自立(自力)で月は依存(他力)です。究極のところ、この二つの意識しかありません。あらゆる意識は愛か恐れに分類されます。囚われの月(欠損としての月)を識る(明確に射止める)とは、○○座の月はこうですよーーという理論を理解することではありません。自分自身の月を知るとは内観すること以外の何ものでもないのです。それは奥が深く、何層にも及ぶ意識の階層を進んでいくことであり、孤独で苦しいことです。



月に囚われているとは、すなわち依存状態にあるということです。月の意識に囚われている時、私たちは不安、恐れ、強迫観念、嫉妬、羨望、自己不信に苛まれています。いくらそれを観ないようにごまかしていても、それは「確実にある」のです。自分自身が自分を直視して、意識のクリアリング、感情の昇華を行わない限り、永遠に月に囚われたままなのです。



それでは、いくら本を読んでも、動画を観ても同じなのです。識るべきものは理論ではなく、人間そのもの、現実そのものです。この現象世界のすべてであり、それらの大元である「自分自身の感情と思考ーー意識そのもの」なのです。


例えば、嫉妬や羨望という感情も<依存>です。羨ましい、妬ましいーーという感情はどこから発生するのでしょうか?それは自分もあの人のようになりたいのに、到底自分には無理だという<無力感>です。その月依存の状態から太陽に向かうことができて、はじめて、自分自身の月を識るという状態に至ります。


強い嫉妬のエネルギーは強烈です。ご本人も苦しいですが、向けられた方もたまったものではありません。私たちは意識体なので、強い負の感情(月の意識)は時空を超えて飛んできます。それを野放しにすることは、はっきり言って地球の迷惑です。自分自身の嫉妬のエネルギーを見てあげることが愛です。


大丈夫です。悔しい、認められたい、私もそうなりたいーーという感情を太陽のエネルギーに換えることができます。



なりたい自分になるにはどうしたらいいかと風の思考(感情を省いたドライな論理的思考)を使ってみるのです。じゃあ、こうしてみよう、毎日、これを継続して理想の自分に一歩づつ近づいて行こう!そのように、智慧によって、月を太陽に取り込むことが可能です。



恐れも自己卑下も妬ましさも・・・すべては貪欲さであり、その根底には無力感と諦めという依存の意識があります。それは深い深い哀しみから派生しています・・・今、等身大の自分からスタートすればいいし、だれと比べる必要もないのです。自分の中の無限の生命力をONにすることができるのは、私たち自身だけです。それが太陽意識です。



月依存の意識とは、他者や世界にこうあってほしい、私に○○を与えてほしい、私をこう扱ってほしいーーという願望や期待なのです。つまり、自分の主導権と創造権を明け渡している状態のことです。こうあってほしい、こうしてほしいーーという想いは自分自身だけがそれを叶えることができるのであり、この地球上の誰も、それを与えてはくれないと覚る必要があります。それができた時、自立できます。ようやく太陽を獲得できます。



誰かをメンター扱いすること、教祖扱いすること、熱狂的に深く傾倒することも、実は<依存>です。猛烈なファンが猛烈なアンチに変わるのを、私は何度か目にしたことがあります。埋まらない心の隙間を埋めてくれる人に傾倒して、そして、ある時、その相手が自分の望む言動をとってくれないと感じた瞬間、憧れや慕う気持ちが強い憎しみに変わるのです。嫉妬も同じで、これらは「依存的敵意」です。



このような月意識に囚われていて、本当に幸せになれるでしょうか。無理なのです。だからこそ、自分を観てあげることが重要なのです。自分が自分の一番の理解者になり、どこまでも寄り添うことです。自分を赤ちゃんのように慈しみ大切にしてあげることです。感情と向き合ってくださいね。それが月からの解放に繋がり、アクエリアスを連れてきますから。



アクエリアスは自立です。一にも二にも自立しかありません。自立という意識にも階層があります。注意深く、自分を見つめていなければ、月は巧妙に侵入してきます。私たちは歩き出したばかりです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?