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治ったか治っていないか ハンディキャップの定義は? イチローは現役時代痛くないところはなかったらしい

痛いものは痛いです。
これは、痛み止めを飲んでなんとかなるレベルになってきたようです。
その痛み止めとやらも、主治医の先生曰く、「麻薬みたいなもの」らしいです。副反応もあるようですが、私は特にそれに苦しむことはありませんでした。したがいまして、その分量もだんだんと上がっていきました。
何しろ、一番軽い(軽いと表現して良いのかわかりませんが)ものでは、とてもではありませんが、痛みが軽くなることはありませんでしたので。
一週間から二週間ごとに分量を増やしていき、現在最大量を服用しております。
そのおかげもあって、ようやく痛みも我慢できるレベルのものになりました。

ストレッチや軽い運動も行った方が良いようで、痛みと付き合いながらこの文章を書きつつ、合間にストレッチ等を行っています。

当初は痛み止めの注射、またはステロイドを追加して点滴をしていました。
何をしていても痛い。
どんな体勢でも痛い。
寝ていても、体を起こしていても、向きを変えても、腕を上げても下ろしても。
痛い。
睡眠をとることもままならず、点滴や注射に頼るしかありませんでした。

その頃に比べると、確かに今は激痛ではありません。
痛み止めを飲んでいますが、注射や点滴は極力射たないようにしています。
ようやくこれだけ文章が書けるようになりました。

ただ。
しびれるのです。
ビリビリビリビリと。腕から指先にかけて、しびれます。
これは、痛み止めでなんとかなるものではないそうです。
もっと言うなら、手術をしてもしびれはとれないときはとれないそう。調べてみると、痛みより厄介としているものもありました。

今は、痛いよりは数段ましと思えていますが、それもやがてしびれは厄介なものという認識になるのでしょうか。

考えてみると、『治る』とはどういうことを指すのでしょうか。

痛みがなくなる=治る
私の感覚では、これは治ったとは言えないと思っていました。
背骨と背骨の間からちょっと飛び出ている軟骨?を元のように戻したら『治る』?
だとすると、神の手で体の中をいじくらないと『治る』とは言えないのではないか。
『スプリガン』の神を宿す手を持つ男“パーカップ・ラムディ”を思い出しました(笑)

ふと考えますと、治るということもその人が決めていることなのだと思わされます。
【前の生活に戻る】ことが治ったということでもないと思います。
どこかが痛くても、それが外傷でも病気でも、それとお付き合いしながら“生きていくこと”はできます。
治ったか治ってないかは、問題ではないのかもしれません。

時として世の中はそれを「ハンディキャップ」と呼ぶ場合があるようです。その言葉さえも、本人がどう考えているかで大きく変わってくるものでしょう。周りの人間が勝手にそれをハンディキャップと名付けてしまっている場合があるかもしれません。
しかしながら、事実としてそれがハンディキャップとして存在する場合は多数のタイミングであります。なので、助け合うという観点と言ってしまえば言葉は安っぽいですが、お互いに声を掛け合うこともし続けては行きたいものですが。
(現実的に声を変えたらこっちがイヤな気分にあることもあるので、そこは本当に難しいものです……)


さて、私の痛みは痛み止めでおさえてもらいながら、我慢できる領域に達してきました。
治ったとはどうしても考えられないのですが、少しずつこのnoteも更新して行けたらと思っています。

はぁ。文章をうつというのもなかなか大変なことなんですね。
リハビリがんばります。

ところで、この薬の一番の問題点があります。
それは……。

お酒を飲むのを控えなければいけないところです……

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