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「できない理由」を教える大人は、全員「やったことがない人」

ブレーキをかけているのは、周りの大人だったという話はよくある話。なるほど、我々は、「はたらきかた」は教えていなかった。我々は自分のいうことを聞く子を評価し、良い進学先を紹介してきた。間違いなく「いうことのききかた」を教えていたのだ。

いうことをきけるということが、全く意味のないものだとは思わない。新しい場に身を置いたとき、新しい指導者の言うことを上手に聞けることは、その場においての成功に近づくことを意味してきたからだ。

それが新入社員においては特にそうだろう。利益を追求する企業においてはもちろんだろうが、そうでないいわゆる公務員的な職場においても、新しく仕事を覚えて効率よく仕事をこなしていくためには、教えてくれる人の言うことを聞けるということが戦力として扱われるということに直結していく。

しかし、時代は変わる。急速に変わる。

今存在している職業の60%がなくなるということは以前のnoteに書いたが、まだまだ想像なんてできやしない。現職教育では意味のわからない目先の指導案の書きっぷりに未だに固執している。全く時代の変化に教育の現場は追いつこうとしていない。

どれだけ変化を認められるか。認めて受け入れられるか。
悔しいなんて思っている暇はないのだ、そこら辺の先生より、よっぽど子どもたちの方がものを知っている。能動的に知りたいと思うことをすぐ側にあるタブレットを駆使して調べるクセがついている子どもたちに、未だに辞書が一番だなんて思っている教員が勝てるはずがないからだ。

好きな教科でもスポーツでもゲームでも何でも良い。自分が傾倒できるものをとことん突き詰めていく。
時代はその方向へ進んでいっていると思うのは私だけではないはずだ。

「厳しく教育するのが難しくなっているらしい中学校、高校、大学。
社会人になる前に経験する時間、そこで“自分自身を自分で鍛えてほしい”というふうに今、そのことがすごく大事な事だと思います。
厳しく教えることが難しい時代に、じゃあ誰が教育をするのかというと、最終的には、自分で自分のことを教育しなくてはいけない。
そういう時代に入ってきたんだなというふうに思います」
――最後のイチロー杯の表彰式のイチローのスピーチより

ただ……本当に厳しさを全く与えなくて良いのだろうかと思うときがたまーにあるんだよなあ。

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