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13年前じゃない育児日記 気持ちはわかる わかるのだが もっとわかってほしいことがある

衝撃だった。これは個人の見解というよりも、国家の問題というと言い過ぎになるのだろうか。

もう本当に数十年前の話。大リーガーが妻の出産に立ち会うため、ワールドシリーズを欠場した。その頃の私には驚きでしたかなかった。世界一を決める大事な試合のレギュラーが、出産に立ち会うため欠場する。本人や奥様はもとより、監督やファン、チームメイトたちはどう思ったのだろうかと考えずにはいられなかった。しかし、それは契約書にも書かれている重要事項だそうで、何よりも優先される事項だったそうだ。ベースボールで世界一になることよりも、世界でたった一人しかなれないその子のパパになる瞬間に立ち会うことを大事に思う。私だったら……と考えてしまうが、そんなことを考えるのならばこんな契約はすでに存在はしていないのだろう。
賛否両論が巻き起こりそうなものだが、その国ではそうではない。なぜ巻き起こらないのか?それは、それが当たり前という『国』なのだからだ。
これは、かの国では目玉焼きにはしょうゆをかけるでしょ、という当たり前の思考と同じレベルの話なのだ。ちなみに私はソース。でも、周囲にソースの派閥は皆無だ。しょうゆの文化の国ではもはや当たり前。意見はあるにせよ、論争などは巻き起ころうはずもない。

この記事の中3の女の子にとやかく言いたくもなる。あなたもいずれ子を宿し出産をするのではないか?などというのは歴然たるものだが、だからといってその女の子を責められるはずもない。本当に担任の先生が好きだからこそ出た、心からの言葉。一緒に卒業をむかえ、青春の1ページに刻まれるはずの思い出を大事にしたかったことは容易に推測できる。

だからこそである。
それよりももっと素晴らしいことがあると、義務教育の最終年までに教わっていないことに、この国の未来に対する危機感を覚える(大げさでしょうか?)。
彼女が考えていることも、とてもすばらしいことだ。担任の先生を尊敬していて大好きなのだろう。だから一緒にいたい。逆に言うと、この担任の先生もすばらしいということになる。これだけ生徒に愛されるのだから。それまでにかけてきた時間と注いできた愛情があってこその関係。そして、そんな先生が選んだ道。決断は容易なものではなかったのではないか。
もしかしたら、不妊に関する治療を何年も受けていたのかもしれない。タイミングとしてその時しかなく、それを逸するとまたつらい治療を続けなければならなかったかもしれない。
校長の配慮を……なんて声もあろうが、学校として生徒や保護者との関係性を考えたとき、その学年に配置できるのがその担任の先生しかいなかったのかもしれない。もちろんこれらは超前向きに考えたら、でしかないが。

妊娠して出産することはすばらしいこと。そして、一人では容易に成しえないこと。周りの人の理解があり支えがあって初めて成り立つこと。それでも、無事に出産をするということは奇跡であること。
これを教える教科が義務教育9年間でどこにもないのか?

保健体育とかで教えるのは、妊娠・出産というシステムのみ?ならば道徳科か?いや、総合的な学習?
奇跡を教える教科はないのか!?

ポプラ社がnoteで「こんな学校あったらいいな」というのを募集しているようだ。

私は、ぜひとも妊娠・出産はすばらしいもので奇跡でさえあるということを教える学校を推奨したい。
誰が正しいとか、誰が間違っているという問題ではないのだ。
ただ、そのすばらしさを教えてあげてほしい。正しい知識を身につけさせてほしい。命を大切にしてほしい。
この世界の誰も、一人では生きられないのだから。

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