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はじめまして


はじめまして、会田ゆりです。
 
初めての投稿になるのでまずは自己紹介をさせてください。

生い立ち


私は1986年、ロサンゼルスのトーランスというところで生を受けました。
父がアメリカの大学院を卒業後、現地の会計事務所で数年働くことになり、そのタイミングで私が誕生しました。2歳半の時に日本に戻ってから基本的に日本を生活拠点にしてきたのですが、アメリカ好きの父の影響もあって、幼い頃から外の世界に興味がありました。高校生の時に初めて親元を離れて1年間カナダのオンタリオに交換留学をしました。大学時代にはアメリカワシントンD.C.に留学、様々な国から来た学生達の議論につたない英語で何とか加わりながら、現地の通信会社でインターンシップをするという刺激的な日々を送る中で、地に足のついた素敵な大人に沢山出会うことになります。この時の経験と出会いを通じて私の中に、もっと力をつけていつか「日本と海外の架け橋となって、日本ブランドを世界に発信したい」という漠然とした思いが芽生えました。
 

夢の原点


大学卒業後、日本の広告代理店で6年間勤め、その内の1年はシンガポールに駐在し、日本企業の海外市場でのブランディングの一端に関わることになります。日本の地方の中小企業のオーナー経営者の自社ブランドに対する深い愛と確かな自信に触れ、他方リソースの制約があってグローバル展開に二の足を踏んでいる状況を垣間見て、私たちの世代こそが、先代が積み上げてきた日本の誇れる文化を世界の人々に伝える使命があるのではないか、という考えを抱くようになりました。ひとたびその考えが頭に浮かんでから居てもたってもいられなくなり、シンガポールから日本に一時帰国したタイミングで、父が経営する会社の海外展開を私に任せて欲しいと、高ぶる思いをぶつけました。父の会社は祖父から引き継いだ1950年創業の、日本が誇る紙と文房具を生業とする会社です。28歳の時でした。私が温めていた「日本と海外の架け橋となって、日本ブランドを世界に発信したい」という夢へのチャレンジがスタートしたのです。
 

海外移住と新たなチャレンジ


父の会社には海外事業部のマネジャーとして入社しました。北米、中国、欧州、様々なエリアに足を運び、販路開拓に奔走する日々を送ります。そして31歳の時、留学時代に知り合った11年来の友人と結婚することになり、幼少期の記憶が微かに残るトーランスの地に再び拠点を移すことになりました。ロサンゼルスに移住したのが2017年。2018年に第一子となる娘を出産、翌年2019年に北米現地法人を起ち上げました。起ち上げ直後にコロナに見舞われる中、2020年6月に事業ローンチ、手探り状態で採用、事業創り、事業運営をしてきました。2022年に第二子となる息子を出産し、気づいたら、異国の地で2児の子育てをしながら小さいながらも会社経営をする立場になっていました。正直こんな未来が自分の人生に待ち受けているとは想像できませんでした。
 

想像を超える未来を見るために


夢に一歩近づいている感覚はあるものの、夢を叶えることが人生の目的ではなく、夢を追う過程で得られる出会いや学びを通じて、自分という器を大きくし人生を豊かにしていくことこそが尊いことなのではないかと今は考えています。自分自身の想像を超える未来を見るために、今日も子育て、チームづくり、事業づくりに奔走しています。
 
私は子供を産んで、自分自身の意志ではコントロール不能な存在と日々を過ごす中で、色々な事をいい意味で諦めることを学びました。すべての行動の動機が自分の成長のためだった20代から、他者の幸せや成長のために自分自身を生かしたいと行動の軸が180度転換したことは、母になって得たギフトだと思っています。子育てと経営は共通点が多く、何より子育てを通じて経営者として必要な心構えを養うことができたと思っています。子供たち、いつもありがとう。
 
私は今30代後半の一人の女性として、育児も仕事も自分自身のスタイルを模索している過渡期です。人生という壮大な旅を通じて日々感じたこと、人との出会いから得た学び、自由な好奇心から切り取った未知の世界を言葉に残していきたいと思い、noteを始めることにしました。自分の心の整理のために紡ぐ言葉が、自分自身だけでなく、世界の誰かのちょっとした気づきになれたら嬉しいです。




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