「幸せ」ってなんだろな。
本当に不思議なものなのだが、望んでいる未来が手に入ってしばらくするとそれに慣れてきてしまう。そしていつしか「幸せ」ではない、平凡な毎日と化してしまう。
「幸せ」ってなんだろな。
会社時代…なーんて言ってもたかが4ヶ月だけれども、その時の幸せは「休日に絵を描き、だらだら寝る」。
学生時代のバイトを3つ掛け持ちして馬鹿みたいに働いていたあの時期も、「休日にどっぷり寝る」ことが幸せだったなあ。
筆者は結構極端な人間なので、0か100かでしか動けない。やる時は全力でやる。やらない時はなーんにもしない。50くらいで動き続けることができたら良いんだろうけど、たぶん出来ないんだろうなと思いつつ。
んで、今は2ヶ月ほど社会から離れて、ようやく手に入れた「幸せ」な時間。
そう、「絵を描き、だらだら寝る」ことをただひたすらにしてきた。
朝10時くらいまで寝て、朝ご飯を食べ、絵を描き、昼ご飯を食べ、午後2時から午後6時くらいまで寝て、お風呂・夜ご飯を食べ、絵を描き、寝る。
やりたいことだけできる世界。幸せだった。最初は。
そう、最初は。幸せは長く続かない。
人間って暇があると考えなくて良いことにまで頭を使い始める。それこそ「幸せとは何なのか」とか「生きるって何なのか」とか。だからこそ哲学ってものが存在しているんだろうけど。
絵を描き、寝る。ただそれだけ。
なんだか、だんだん、この世に存在しているのかすら分からなくなっていた。
社会から離れてみると、まるで世界からも孤立している感覚。
私という存在は本当に存在しているのかな。
私の存在意義って何だろう。
何で私は生きているんだろう。
今ここで死んだとして、何人の人が悲しむのだろう。
「ちこちゃーん」
あ、良かった。生きてた。
名前を呼ばれた時、「生きている」という感覚を思い出した。ああ、存在しているんだ私は。
社会のために一生懸命働くこと、自分の好きなことをとことんすること、しっかり休息をとること。
それぞれ充実した時間だ。
そのバランスが上手く保たれている時が1番「幸せ」なんだろうなあ。
そして何より、誰かが私の名前を呼んで、私という存在を認めてくれている時、大げさだけれども、「生きている」と実感できる。私、生きていていいんだ。
意外と、苦労しながら働いていたあの時間も、社会から必要とされていたし「幸せ」な時間だったのかもしれないね。
そう考えると、今生きていられるだけでも充分「幸せ」なんだなと気づけた。良かったなあ気づけて。
ま、私なりの見解なので正解は分からないけれど。考えすぎると鬱になるからやめた方がいいよ。ほら、幸せは身近に転がってるからさ。外に出てみよう。
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