見出し画像

心のとげを抜いているだけ

猫の死骸

6~7年前のことなんだけど、当時は早朝ウォーキングをやっていた。夜はつい飲んでさぼってしまうことも多いので、それなら朝のうちに体を動かそうと思って4時に起きて歩きに出かけていた。

そんなある朝、道端でネコの死骸に出くわしたのだった。車にはねられたのだろうが、気持ちが悪いので目をそむけて通り過ぎた。

ところが翌朝も、死骸はそのままになっていた。人気のない場所で、有刺鉄線の向こう側は米軍の接収地が広がっている。もう一方は団地の駐車場だ。

またもや目を背けて通り過ぎたのだが、さらに翌朝そこを通りかかると死骸はまだそのままになっていたので、さすがに心にとげが刺さってしまった。

ぼくが放っておけばだれも処理しないのではないか

と思うようになってしまったのだ。

そこで4日目の朝は、ダンボールとスコップをもってウォーキングに出かけたのである。スコップはもちろん、穴を掘って死骸を埋めるためだが、手で死骸をもって運ぶのは気持ち悪いので、さわらないで済む方法を思案した挙句、ダンボールですくい上げて穴に放り込めばいいのではないかと考えたのである。

そうして、意を決して現場に向かったところ、死骸は消えていた。昨日のうちに誰かが市役所に電話して、処理の人が持って行ったのではないかと思う。

スズメの死骸

これも数年前のことだけど、電車の踏切のわきにスズメの死骸が落ちていたことがある。なんどとおってもそのままになっているのでこれもだんだん気になってきて、家に帰ってふと

ぼくが埋めてやらなければ、あのままになるのではないか

と思ってしまい、そう思うと心にとげが刺さって眠れない。なので翌日、しかたなくスコップをもって踏切に出かけて、てわきの土手に穴を掘って死骸を埋めた。

ちょっと話がわき道にそれるけど、線路わきの土手って一見すると土のように見えるでしょう。だけど掘れば掘るほどガラスの破片みたいな埋め立てゴミのカタマリになっているのだ。いくら掘っても土が出てこないのでしかたなくゴミのあいだにスズメの死体を埋めた。

かんがえてみれば、線路わきの土手は植物を育てるための場所じゃないので、「肥えた土」を使う必要はない。だから、土はあくまで「つなぎ」で、土2割、埋め立てゴミ8割くらいのブレンドになっているのではないだろうか。こういうことは自分で掘ってみないとわからないものだ。

さて、上記の話には共通点があって、ぼくは動物愛護の人ではないし、いい人でもない。何度も無視して通り過ぎているのだか、ある時点で「自分がやらないといけないのではないか」と思えてくると、スコップを持って出かけてしまうのである。

こころがやさしいといわれることがあるが、そうではなくて、単に心のとげを抜いて安眠したいからやっているだけだ。

スリランカ人の僧侶

考えてみれば、結婚も似たような面があったんだけど、それは置いておくとしてあと1つだけ。20年ほど前に大学の助手をやっていたころのことだ。そこにスリランカ人の留学僧がやってきたのである。

ただし、留学僧とは名ばかりで、帰りのチケットも持たずに亡命するつもりだったようだ。「日本に来ればあとは何とかなるだろう」と思ってとりあえず出国してきたのだと言っていた。

しかし、大学のスタッフが誰も相手にしてくれないので困って僕のところに来たらしい。しかし、ぼくもたいしたことはやっておらず、来るたびに話しを聞いてやり、調べ物を手伝ったり、日本のシステムを教えてやったりしただけで、べつにご飯を食べさせたわけでも家に泊めたわけでもない。

ところがある日のこと、かれがやってくるとぼくにメダルを握らせた。500円硬貨くらいの金色のメダルで、彼曰く「大事なモノ」なのだそうだ。

日本で親身になってくれたのはお前だけなので、これをお前にやる。このメダルが自分だと思って大事にしてほしい。

いきなりそういわれたので、まあうけとったんだけど、しばらくしてその留学僧が徒歩で東京方面へ向かって失踪したといううわさが聞こえてきた。

あれはお別れのあいさつだったんだな・・とそれでわかったのだった。

そのメダルは今でも大事にとってある。こないだ「消えた心霊写真」という記事の中で心霊写真を入れたのと同じ道具箱に入れてあるのだが、心霊写真は消えたけどメダルは消えていない。

ただし、スリランカ人の場合も、それ以外のばあいと同じで、ぼくはとくべつ親切だったわけではなく、ぼく以外の人が相手にしないので、相手をしていただけである。

その証拠に・・というか後日談があって、それから10年以上たって、かれからいきなりFacebookに連絡が入ったのだった。

あのときのおまえだろ?なつかしいな元気か?

みたいなメッセージで、そこで旧交を温めれば「美談」として語れるのだろうけど、ぼくはめんどくさくなってアカウントを閉じてしまったのだった(笑)。

ただし。これには言い訳があって、そのアカウントはそもそも自分で開けようとしたものではなく、なんかの申し込みをしたときに、適当にチェックを入れていたら勝手に開かれてしまったやつなのだ。

スリランカ人だけでなく何十年もご無沙汰している数人の人から連絡が入り、それではじめて自分がFacebookのアカウントを開設していることを知ったのだった。いきなりのことで、めんどくさくなってしまって

このアカウントはなかったことにしよう

と思って閉じてしまったのである。このようにぼくは親切な人間ではない。そして、彼らのメッセージを無視したことで心にとげが刺さらないのかといわれれば、余り刺さらない。

他に手を差し伸べる人がいないならぼくがやるけど、無事にスリランカに返ってうまいことやっているからこそFacebookなんかいじっていられるのだろう。ならばぼくが心配しなくても大丈夫だ。こちらのことは忘れてくれていい。

もちろん今でもメダルは持っているし、彼のことも覚えているし、また亡命してきたら助けるけど、今うまくいっているなら、ぼくのことは忘れてくれていい。

万事がこういう考え方で生きている。たまに「やさしい」と言われるが、自分では行きがかり上、心に刺さったとげを抜いているだけであり、その日電気を消したときに安眠できればそれでいいのであり、それ以上の社会的関心とか、正義感などはない。

このnoteも同じ

このnoteを書き続けているのも、まあ似たり寄ったりのことで、偶然、誰かに知らせなければならないことが降ってわいたのだが、ほかの誰もやってくれそうにないのでやっているだけだ。そこには正義感も道義心も自己顕示欲もない。

偶然ネコの死体に出くわしたとか、いきなりスリランカ人がやってきたとか、そういうことに近い。ほうっておいたらに安眠できないので、心のとげを抜くために書いているだけである。

そして、ここ数年noteを書くことで、ぼくの心に刺さっていたトゲはだいたい抜けた。この小さなスコップでやれるだけのことは、すべてやった。

だからあとは、野となれ山となれである。スリランカに帰ったスリランカ人のことは、僕の知ったことではないのと同じように、書くべきことさえ書いてしまえば、あとはぐっすり寝るだけだ。

いつこのアカウントを止めるのかというと、そういう風が吹いてきたら止める。ある日スリランカ人がメダルをもって来て、去っていったように、そういう日が来れば自然とわかるので、そのとき静かに閉じるだろう。

これまで読んでもらってありがとう。ぼくはいつも世間のどこかで楽しくやっているので、あなたもどうか楽しくやってください。とはいえたぶん今日終わるわけではないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?