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すべての考えは思い込みである

いきなりだが、檻(おり)というか、鳥かごみたいなものを想像してほしい。そして、その中に自分が閉じ込められているとイメージしてみてほしい。

あなたを取り囲んでいる鳥かごにあたるものが、あなたの「考え」と呼ばれているものだ。別名「思い込み」とも呼ばれるし、思想信条とも呼ばれる。イデオロギーと呼ばれることもある。思い込みとイデオロギー(=○○主義)にたいしたちがいはない。

イデオロギーには民主主義、共産主義、資本主義、白人至上主義、ナチズムなどなどいろいろあるけど、たとえばナチズムとは、

ユダヤ人は劣等民族だから絶滅させよう

という考えのことで、第二次大戦当時のドイツでは「立派な思想」ということになっていたらしいが、今になれば、おろかな思い込みでしかない。同じく

京都アニメーションにネタをパクられた・・

というのも思い込みだし

人類はみな平等だ

というのも思い込みだ。

すべての考えは思い込みである

だからといって、「どれでも同じ」ということにはならない。マシな思い込みと愚かな思い込みがあって

ユダヤ人は劣等民族だ

と思い込むよりは

人類はみな平等だ

と思い込むほうががマシな思い込みなので、そちらに人気がある。ただし、繰り返すが「人類は平等」が真実なのではなくて、あくまで

マシな思い込み

にすぎず、行きすぎた平等主義が問題を引き起こすこともよくある。

鳥かごを出るのは不可能

さて、この思いこみというヤツが、あなたのこころを囲んでいる鳥かごみたいなものなのだが、この鳥かごを出るのがものすごくむずかしい・・というか不可能だというのがこの記事で言いたい一つ目のことです。

かりに、人間が自分の思い込みから自由になったらどうなるかを想像してみると、たぶん獣のように自由になるのではないだろうか。たとえば、犬は自分のウンコを食べても平気である。なぜなら犬は

ウンコは汚い

という思い込みに縛られていないから。また、犬がウクライナ兵の死骸を食べている動画がネットにアップされていたらしいけど、そもそも犬には

人肉を食べてはいけない

という思い込みはないし、

戦争はいけない

とか、

死者を冒涜してはいけない

などという思い込みもないので、平気でやれる。

かりに人間があらゆる思い込みから自由になれたなら、自分のウンコも平気で食べられるし、兵士の死骸も食べられるようになるだろう。しかしその生き物はもはや人間とは呼べない・・。そう考えてみると

人間であること=さまざまな思い込みに縛られていること

だと言っても間違いではないだろう。鳥かごの中にいるからこそ人間なのであり、人のままでそこから出ることなど不可能だ。

だれともわかり合えない

そして今日2つ目に言いたいことは、同じ鳥かごには1羽の鳥しか入っていないということ。

人間の思い込みはそれぞれバラバラで、まったくおなじ思い込みを共有している人はどこにもいない。もちろん、ある程度までは共有していることもあり、同じ時代の同じ日本に生まれれば、似たような思い込みをある程度共有しているかもしれない。

それでも、極貧の中で育った人と、大金持ちの家で育った人では思い込みがかなりちがうだろうし、優しい親に恵まれた人と、親に虐待を受けて育った人でもかなり異なるだろう。だから、あなたとまったく同じ鳥かごから世の中を見ている人はどこにもいない。

よくぼくらは

それわかる!わかる~!

といって共感しあうけど、逆に言えば、共感できる部分が少ないからこそ、わかりあえたときに大騒ぎするわけで、もし何から何までわかりあえているなら、いちいち「わかるわかる~!」などとは騒がないのである。

あなたの気持ちはあなたにしかわからないし、京アニ事件の犯人の気持ちも彼にしかわからない。

同じ人間と認めるかどうか

被告とまったく同じ性格・境遇に生まれて、まったく同じ人生をたどってこないかぎり、あんなことをやらかしてしまった彼がどういう気持ちでああなってしまったのかは、どこまで考えてもわからない。これはウンコを食べる犬の気持ちがどれだけ考えてもわからないのと同じだ。

あいつ許せない!

と責めるのは簡単だが、それはウンコを食べている犬に向かって

いやだ。バカみたい~

と言っているのとだいたい同じである。自分の思い込みを相手に押しつけているだけのことで、ちがいがあるとすれば、犬に対しては

犬だから仕方ねえだろ・・

と思ってあきらめるけど、人間に対しては

人間なんだから、もっと他にやりようがあっただろ!

と思って腹が立つ点がちがう。とはいえ、「同じ人間」というのも思い込みにすぎず、ちがう鳥かごに住んでいる人間がどこまで「同じ」かはよくわからないのだ。

今、裁判をやっているけど、あれは、

36人殺したヤツを同じ人間と認めるかどうか

というのを話しあっているわけで、極刑が下されるとすれば、それは

こんなヤツ同じ人間じゃねえ!よって抹殺する

という判断が下されたということであり、これはヒトラーがユダヤ人を

同じ人間とは認めない。よって抹殺する

と考えたのと同じロジックだ(ロジックだけ)。

寅さんの気持ちもわからない

先日、こういう記事を読んだんだけど、ここに出てくる上野の寅さんと呼ばれるホームレスの気持ちも僕にはわからなかった。

2カ月前から生活保護を受け始め、青梅のアパートに住んでいるという。しかし、馴染みのある上野に来て、ホテル、サウナ、DVD鑑賞、パチンコ、酒と贅沢三昧をしていたらアパートの家賃が払えなくなってしまった。(中略)しかし、金はなくなってしまったが、「その数日間だけは最高の気分だった」と寅さんは笑う。

「数日間だけは最高の気分だった」というのがどうしてもわからない。彼は56歳でぼくと1歳しか違わないので、同じ時代の同じ日本に生まれ育っているはずだけど、数日後のことを忘れて「ホテル、サウナ、DVD鑑賞、パチンコ、酒」で最高の気分に浸れるというのがどうしても理解できない。

しかし、これも鳥かごがちがうだけのことだ。

ぼくの鳥かごから測って「こいつは考えが足りない」とか、「こいつはバカだ」と言うことはできるが、それは思い込みを押しつけているだけのことで、彼に内側から共感して「それわかる!わかる!」ということはできない。まったくわからない。

トー横キッズの気持ちもわからない

同じくトー横で風邪薬のオーバードーズをやっている子供たちの気持ちもわからないけど、彼らにはいろんな事情があって、ああなるしかなかったのだろう。

風邪薬はもともとラリるためのものではないので、それを過剰摂取するのは、ラリる目的で作られている大麻グミよりもよほど危険だ。長い目で見れば肝臓や腎臓をやられるので、将来よほど後悔するだろう。

「わかる!わかる!」と言ってやれる大人が周りにいないのでああなったのかもしれないが、ぼくにも残念ながら「わかる!」とは言ってあげられない。言えるのは

コンドームと大麻グミを配ったほうがいい

というくらいのことだ。

自己肯定感を上げるのも難しい

上野の寅さんも、トー横の子ども達も、もしかすると自己肯定感が低いという点に共通点があるのかもしれないけど、この「自己肯定感の有無」だって思い込みだ。

鳥かごのようなものなんだけど、だからといって、じゃあ出ればいい、といっても簡単にはいかない。いろんな体験が積み重なって自己肯定感が下がっているのだから、エレベーターを上げるようにポンと上げたりできない。

「自己肯定感を上げろ」というのは、「ウクライナ兵の死骸を食べろ」というくらい難しいことなのだろうが、その難しさも内側からわかってあげることは、できないのである。

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