良い気分転換のやり方
こんにちは。こんばんは。今回もがんばって、役にたつことを書いてみたいと思います。
今回は、「暮らしの問題はなかなか解決しないものなので、気分転換が大事だ」という内容です。
問題は解決しない
さて、環境問題だろうが、領土問題だろうが、家庭問題だろうが、「問題」と呼ばれるものは、根本的には解決しない。もちろん、その場しのぎで解決したように見えることはある。
これで解決だ。
ただし、クーラーは使えば使うほどCO2の排出量が増えるので、長い目で見れば環境問題をこじらせることはあっても解決はしない。これにかぎらず、およそ「問題」と呼ばれるものは連鎖していくので、長い目で見れば、1つの解決はさらなる問題を生み出すだけだ。
さまざまな問題
具体例を挙げてみよう。領土問題もそうである。たとえば、
だったはずだが、それは同時に
でもあった。おなじく
でもあるが、同時に
のはじまりでもある。漱石の『こころ』も同じことで
になるわけだが、同時に
がここから始まる。1つの解決はかならず次の問題を生み出すので、作用反作用で先送りにされていくだけであり、根本的には解決しない。
あっという間の解決法は詐欺
とはいえ、目先の問題は解決したいものである。
しかし、およそ問題と呼ばれるほどのものが、とりあえずの解決を見るまでには、長い時間と労力がかかるのが普通だ。
とか
とか
みたいな「あっという間の問題解決 = 詐欺」だとおもって間違いない。
気持ちを切らさないことが大事
一般的には、「昨日生じた問題が今日解決する」などということはありえないわけで、そうすると、解決までの長い道のりのあいだに
ということが大事になってくる。いたずらに解決をあせったせいで
ようなこともときにはあるだろう。それで落胆して、気持ちが切れてしまってはおしまいなので、じっくりと問題に取り組むには、適度に気分転換することが求められる。
今風に言いかえるなら、問題解決において一番大事なことは、すばらしい解決方法よりも、持続可能な取り組み方だといえるかもしれない。そして、持続可能な姿勢を維持するには、くりかえすが心が折れないことが何よりも大切で、そのためには上手な気分転換つまり
と思えるような巧みな「こころの再充電」が大事になってくる。
バーボンとギター
ぼくは一時期、環境問題をかなり勉強していたことがあるんだけど、知れば知るほど絶望的になってきて、とても勉強していられない。
それはともかく、かつてアラン・アトキソンという著名な環境活動家の本でたしか「Sustainability is for Everyone」(たぶん未訳)という本だったと思うんだけど、こういうくだりがあった。
アトキソン氏がある環境フォーラムに出演したときのこと、観客から、
と質問されたのに対して
と答えたそうだ。
活動を終えてホテルの部屋に帰ると心がくじけそうになるらしいが、そこでウイスキーを飲んでギターを弾くことで、なんとかもちこたえているのだという。
このように著名な活動家であろうと、目標や希望だけでは長い年月を戦い続けることはできず、日々のバーボンとギターが不可欠なのである。
良い気分転換と悪い気分転換
というわけで、およそ問題というものが簡単に解決しない以上、気分転換が必要ない人はいないはずであって、そして上手に気分を転換できなければ、その人は早晩、うつ病などにおちいって自ら命を絶とうとするかもしれないし、白昼繁華街で刃物をふりまわすかもしれない。
ぼくも気分転換を大事にしているんだけど、気分転換にはタチのいい気分転換とタチのわるい気分転換法がある。
悪い気分転換
まずタチの悪いほうから説明すると、悪いというのは依存性が高いということで、かんがえるより先に思わず手が伸びてしまうようなものが多い。
たとえば、飲酒、喫煙、パチスロ、大麻、シャブ、買い物、ギャンブル、ゲーム、甘いもの、過食、万引き、リストカット、新興宗教、不倫、痴漢、家庭内暴力、いじめ、動物虐待などなど。
これらの中には、依存症と呼ばれたり、犯罪と呼ばれたり、自傷行為などと呼ばれるものもありさまざまだけど、ざっくりいえば、すべて
だとぼくは思う。
良い気分転換
ではタチのいい気分転換法がどういうものかといえば、趣味と呼ばれるようなものは大体これに当てはまる。
筋トレ、ジョギング、登山、自転車、釣り、バイク、ゲーム、マンガ、旅行、料理、瞑想、楽器演奏などなど。
「ゲーム」をタチのいいほうとの悪いほうの両方に入れているけど、タチの良しあしは付き合い方次第だともいえる。
ぼくはクサクサしたときに、DSで30分もスーパーマリオをやっていると気分がほぐれるのでじつに助かっているが、ゲームは、やり方を誤れば依存にも陥りやすい。
また、飲酒も依存しやすいので悪いほうにいれておいたけど、アトキソン氏のバーボンは、いい気分転換になっているのだろうし、付き合い方次第だ。
安易なものほど問題が多い
気分転換には、たぶん神経伝達物質というやつが関係しているのだろう。ドーパミンやセロトニンをはじめ、いろいろあるそうなので詳しいことはわからないが、要はそれらの分泌の
が、よい気分転換と悪い気分転換の境目だと思う。
脳内のバランスが改善されて、意欲が戻ってくるならタチのよい気分転換だし、興奮物質が過度に分泌されて、依存してしまうようなら、悪い気分転換だ。
おおまかな指標としては、「行きはよいよい帰りは恐い」と覚えておくといいかもしれない。入り口が安易な気分転換ほど、あとで困ったことに陥りやすい。アルコールやニコチンやシャブなどは、化学物質を注入して強引に気分を変えてしまうのだから、努力も工夫もいらないけど依存しやすい(シャブは未経験です)。
賭け事や買い物やゲームも似ており、安直な分、さらに大きな問題に引き込まれやすくなる。
一方で、タチのいい気分転換法は、しだいにスキルが上がっていくようなものが多くて、たとえば筋トレをすればスカッとするだけでなく筋力がついて見た目もよくなる。
自転車も、登山も、釣りも、瞑想も、やればやるほどスキルが上がってさらにおもしろくなっていく。
とはいえ、登山も、釣りも、そう手軽にやれないので、もうちょっと手軽に、酒瓶に手を伸ばす前にやれるような手軽な気分転換法を用意しておきたいものだ。
「なんとなく」はダメ
ポイントは「なんとなく手を伸ばさない」ことで、これに尽きる。逆にいえば、「なんとなく見ない」ならば、ユーチューブだってイイのだ。
YouTubeは考えなしでダラダラと見つづければタチの悪い依存になってしまうけど、
といった風にルールを設けて使えば良い気分転換報になる。
認知症と向き合う
長々とこんなことを書いてきたのは、近々、実家に帰省して一か月以上は認知症の親のと向き合わねばならないからで、話しの通じない相手のわがままに対して、キレないように辛抱強く向き合わねばならない。
認知症は解決できない問題であり、「気分転換」がとても大事だ。
しかし、すでに繰り返したように「なんとなく」の気分転換はタチが悪く、ついストロングチューハイに手が伸びる・・みたいなことをやっていてロクなことはないので、実家に帰る前にマシな気分転換法を確立しておかねばならなかった。
ぼくが気分転換に多用するのは映画だが、これもなんでもいいわけではなく、「気分転換用」に意識してチョイスした作品に限る。条件はやや厳しめだ。
そもそも通常の劇映画は見始めて30分もしなければ、おもしろいかそうでないかすらわからないし、もしツマラナい作品あたってしまえば、気分転換どころか、かえってストレスになる。なので、
こうした条件をクリアした映画をあらかじめ用意する必要があり、ここ1月ほどはそのチョイスをやっていた。
釣りバカと007
ちなみに、上記の条件に当てはまる映画として、かつて『釣りバカ日誌』シリーズを愛用していたんだけど、このシリーズは
ので上記の条件を満たしていたのだが、もうだいたい見終わっているので今さら使えない。
「釣りバカ」のつぎにぼくが重宝したのは、007シリーズだった。これも
のでここ2年ほど愛用していたのだが、すでに全タイトル2回以上は見てしまい、好きな作品は5回もみてしまって、使い物にならなくなってきた。
そこで今回探し回ってついに今年の「気分転換」にうってつけのシリーズを見つけたんだけど、それが
勝新太郎の『座頭市』シリーズ
である!すでに10本くらいは見てしまったけど、全26タイトルあるのでまだまだいける!そして、見れば確実に30分でスカッとできる。
ストーリーは毎回同じで、よろよろと歩く盲人の市(いち)のまわりを十数人のやくざ者が囲み、一斉に斬りかかるんだけど、市(いち)が仕込み杖を抜いて
と目にもとまらぬ速さで逆手斬りをすると、バタバタと倒れていく。
この繰り返しがずーっと続くわけだが、毎回「このドめくらのあんまが!」と放送禁止用語連発で差別される市(いち)が、刀を抜くとおそろしいほどの凄腕を見せるギャップがおもしろいし、勝新さんの演技が味わい深くて飽きない。
大映のセットも今では考えられないほど豪華で、カメラもすばらしく、確実にスカッとできる・・というわけで、ぼくはこのシリーズを見るためだけに「角川チャンネル」というのに加入した。
いい気分転換で今年を乗り切りましょう
さて、以上が役にたったかどうかわからないけど、みなさんも人生の難しい問題に直面したら、
こうした3点を念頭に置いて、乗り切ってください。ぼくも『座頭市』の力を借りて、これからの1か月をスッキリと乗り越えようと思っています。
「んなバカな~」という超絶の居合抜き。
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