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意識の高いサッカーのコーチ

SNSの普及で、自己啓発系というか、意識の高い考えがネットにあふれるようになったとおもう。

結構なことだともいえるけど、なんでもかんでも意識が高くなると、ふとつまらなく思えることもある。

意識の高いサッカーのコーチ

昨日、近所の公園を散歩していたら、5~6人の中学生とそのコーチがサッカーの練習をしているところに出くわした。

そこはサッカー場ではなく、休日になればお弁当を広げる家族や、凧揚げをする子供などでにぎわう普通の場所だ。

そこをぼくが通過しているかたわらで、コーチが声を張り上げてこういうことを言い出したのである。

相手を止めようと思う時
100の力で止めようとする選手は伸びない!

50の力で止めようとする選手がのびる!

では、なぜ50の力で止めることができるのか?

それは相手を止める戦術・技術というものを持っているからだ!

そして、残りの50の力で・・

という感じでまだまだ続いていくのだが、盗み聞きしているのが悪いような気もし、聞いているのが恥ずかしい気もしたので、あとは覚えていない。

中学生たちはだまって聞いていた。

どこかで聞いたことのある考え方

しかし、道路のすぐわきで演説しているので、聞こうと思わなくても聞こえてしまうのである。

今思えば、通行人に聞こえるように声を張っていたような気もするし、そういう自分に酔っていたようにも見えなくもなかった。

ただし、言っているのはもっともなことだし、かしこい考え方だと言えなくもないが、一方で、「どこかで聞いたことのある考え方だなあ」という気もして、いかにもビジネス系YouTuberが言っていそうなことでもあった。

いまどき、どんな分野でもこういうことを言う「かしこい人」が増えているのだろうか。

マインドを語るのが普通なのか?

しかし、そもそもスポーツのコーチというのは、練習中にこの手のマインドセットの演説をするものなのだろうか?

ぼくは20年くらい大人の水泳教室に通っていたのだが、マインドの話をされたことは1回もなく、コーチの話というのは、だいたいが練習メニューの説明と、あとは個々の練習生に対するアドバイスだった。

今日は50本行きましょう!

とか

○○さん、着水の手がすこし体に寄っていますよ

とか、である。こないだ『ケイコ 目を澄ませて』というボクシング映画を見たんだけど、同じだった。映画に出てきたコーチも

今日はコンビネーションをやろう

とか、

わきが開くクセがでているよ

などと言っていただけだ。

なので、中学生を相手にとうとうとマインドを語っているコーチに対して、ややヘンな感じがしたのである。

型破りの人がおもしろい

しかしいまは、中学生くらいから、「50の力で相手を止めて」みたいな利口なことを考えないといけない時代なのかもしれない。

がむしゃらにやっているだけではいけないのかもしれないが、観客としてみた場合、万事利口そうなプロ選手は面白くなくて、計算外のことをやってくれる選手に魅力を感じるのは事実だ。

ぼくが応援している埼玉西武ライオンズで、いまおもしろい選手といえば、入団3年目で20歳になったばかりの長谷川信哉選手である。

この人は、先日センターでフェンスに激突して倒れてしばらく動けなくなったのだが、そのウラの攻撃ではトップバッターで登場し、ホームランを打って同点に追いついた。

前日にも9回にサヨナラホームランを打っている。

しかも、打撃が上向いたきっかけというのが、横浜DeNAと対戦したときに宮崎敏郎選手に影響をうけて、その後、宮崎選手のバッティングフォームの完コピをやっていたからだそうだ。

打席に入ると完全に宮崎選手になりきっているので、ベンチからからかわれていたらしい

そういう中での「フェンス激突後の連続ホームラン」であり、解説者も彼のことを「プロ向きの性格」と呼んでいたけど、ファンから見ても、こういう型破りの選手がおもしろいのである。

”浪速のジョー”こと辰吉丈一郎選手の魅力も、そういうところにあった。

中学時代から「50の力でどうのこうの」言っていたら、たしかにかしこいかもしれないが、この手の「意識の高い言葉」は、ChatGPTの登場で、ごくありふれたものになっていくだろう。

みんながかしこくなると、こじんまりしてつまらなくなってしまうような気がしないでもない。

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