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とっ散らかる頭の中

※PexelsによるPixabayからの画像

一つの文章を書きながら、何か他のアイディアが浮かぶとする。
今であればTABをいくつも開いて編集できるMEMOアプリなんてたくさんあるので、それぞれ好みに合ったMEMOアプリで頭の中が整理できる。

こうして考え、タイプしながらでも他の文章や思いつきが頭の中で枝分かれしてくる。その枝葉を残しながらタイプし続ける。
別に全てを使うわけではないし、使う必要もない。と、私は思う。
これは頭の中のワーキングメモリーを開放している行為なのだと直感的に感じている。
大量のワーキングメモリーを持っている人には必要のない行為だろうが、貧弱なワーキングメモリーしか持たない私にとっては大事な作業の一つである。
MEMOという体外のメモリーに脳内メモリーからデータを移動させることによって、貧弱な脳内メモリーであっても十分に働くことができる。

今こうしている間でもTABが他に2つほど開いており、別の文章をタイプしている。
文章にまで至らない短い言葉については付箋アプリでデスクトップ上に貼り付けて残しておく。
特別なことをやっているといわけではなく、ただ単に脳内メモリーが散らかりやすく、場所も狭いというだけの話であり、こうやって場所を開放しなければ文字通りフリーズしてしまう。

こうやってとっ散らかった文章はそれぞれ独立した文章になることもあるし、いくつかが統合して一つの文章になることもある。
小説のような膨大な情報量の文章。それらが一つの連続性を持った文章を書いた経験はないが、今よりも大量の情報を扱うことになれば「アウトライン・プロセッサ」が役に立つと思う。

ASDの特徴の一つかもしれない「とっ散らかる頭の中」
アウトプットするツールも充実している昨今。
私にとっては手荷物で一杯の状況から脱却できる作業なので、文字として吐き出すと意外にすっきりしたりするものです。

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