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写真に対するスタンス表明
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#ポートレート

写真を撮る時の、あれやこれや

この夏の終わりに、ウェディングのロケーションフォトを撮らせていただく機会があった。 普段は子供さんや赤ちゃんのいるご家族からのご依頼が多いので、いつもとは違う撮影にちょっぴり緊張したけれど…いつもとは違うからこそ、新鮮で楽しかった。 ただし普段撮らないということは引き出しがない、ネタのストックがないということなので予習は必須。 Google先生に「ウェディング ロケーションフォト」と質問して、大量の画像を呼び出してもらってひたすら写真を眺める…というのが主な下準備だ。そ

写真の話、イルミネーションと子供

昨年は何度か"ひろしまドリミネーション"と呼ばれる、平和大通りで行われているイルミネーションでの撮影機会があった。 しかし実はイルミネーションと人、どちらも綺麗に撮るのはなかなか難しい。 写真を撮らない人は「目ではこれだけ見えているんだから、撮るのもできるのでは?」と考えるようだけれども、そんなことは全くない。人間の目は超高性能!高機能!機械であるカメラとは比べものにならないくらいにハイスペックだということを知って欲しい。「見たままに撮る」というのは、実はわりと難しいこと

わたしが見た、あなたの世界は

出張撮影、というのは。 誰かの人生のある瞬間だけ、ひょいっとお邪魔させていただくお仕事だ。 だから自分の子供もいないというのに。卒園式やら入学式の参列経験があったり、七五三のご祈祷を体験したりしている。 他にも結婚前の両家の顔合わせに立ち会ってドキドキしたり… 運動会では子供を追って校庭中を必死で走り回ったり… お宮参りに同行して、赤ん坊の小さな手にきゅーんとしたり…   こうやって人生の節目…それも幸福成分を多く含むような場に、部外者ながらひょっこり顔を出している

作業としての撮影は…

友人や身内の、式場でのウエディング前撮りに付き合ったことが何度かある。 自分の撮影ではない、他人の撮影を見られるということに。 ちょっぴりワクワクしたものだけれど… あれ、思ってたよりずっと"作業"だった。 仕事の効率を求めるなら、相手と向き合うことは必要ない。 条件さえ揃えば、そこにいるのが誰だろうと同じ。 人に合わせて型を作るのではなく、人を型にはめていく。 そう感じさせられるような…まさに仕事としての撮影だった。 1日に何組も流れ作業のように撮影していくのであ

シンデレラの魔法を見たくて ~ビフォア&アフター写真~

たまにイベントなんかで、ヘアメイクさんと一緒に組んで撮影することがあるんだけれど…そういう時に「かわいいは作れる」って、本当かもなぁって思う。 髪型、服装、メイク、小物、そして撮り方… 1つ1つはちょっとした違いでも、積み重ねていくと印象ってグッと変わる。 例えば…こちらは遺影の準備も兼ねたメモリアルフォトの撮影を、ということで来られた女性。娘さんが勧めてくださったそうで「最近は60代ぐらいからこういった写真を撮っておくそうなので…」とのことだったのだけれど。 このイベ

写真のあなたが見せる顔

人の撮影をしていて面白いな、と思う事の1つが。 ちょっとしたことで、ガラッと変化が起こる事かもしれない。 同じ相手を撮っているのに、印象がくるくると変わるのが面白い。 例えば、着るもの。 ジャケットの色が違うだけで、イメージも変わる。 柔らかなベージュのジャケットは、キリッとした黒よりも 女性らしい華やかさが強調される。 それから髪型もだ。 イベントなどで、ヘアメイクが入るとその効果がよくわかる。 ふんわりかわいらしく、と軽く巻いた髪型と控えめなメイクに… ロッ

写真が楽しくなかった頃

「人として」写真を撮るということについて書かれた文章を読んで。 ああ、となんだか腑に落ちた気分になった。 もう随分と昔の事になるのだけれど、写真が全然楽しくない時期があって。 何を撮っても、なかなかピンとこなくて。 何を撮りたいのかも、よくわからなくなっていて。 迷ってるなぁ、って自分でも感じていた。 今なら、その理由がわかる。 自分の為に、自分の心の為に撮っていなかったからだ。 写真教室での課題の為に、人に見せる為に。 あの時期は確か、そういう意識でシャッターを切