見慣れない景色が見たい、そんな時は
いつものことを、いつもじゃなく、やる。
それは日常という見慣れた色彩に、異なる彩りを添える行為である…
単焦点レンズ、とは
単焦点レンズというのは、カメラに詳しくない人に向けて乱暴に一言でまとめてしまえば「ズームはきかないけれど、背景がしっかりぼかせるレンズ」のことだ。大抵のカメラ趣味の人間が、写真という沼にハマり始めた頃に一度は手を出すレンズである。
ズームがきかないということは。もう少しアップにしたいとか背景を入れたいとか思ったとしても、カメラではその操作ができない。じゃあどうするか、といえば自分が動くのだ。アップにしたいのなら歩いて近づき、背景を入れたいのなら歩いて離れる。
「この機械文明が浸透する社会で、そんな原始的な…?」とカメラに興味がない人は思うかもしれないが、これはそういうレンズなのである。
だから趣味やスナップ写真を撮るには良いのだけれど、行事ごとの撮影等ではあまり使われない。使うとしてもズームレンズがメインで、単焦点レンズはサブ的な役割だ。
あえて不便なレンズで撮った、七五三
しかし1度だけ、そんな単焦点レンズ1本で七五三を撮影したことがある。子供さんが恥ずかしがり屋さんでカメラが苦手、というのを事前にお伺いしていたので。それならと威圧感のない小型のサブのカメラとレンズだけで、撮影させていただいたのだ。
これが、やってみると普段とはあまりに感覚が違う。撮影前のロケハンで色々と確認しておかなければ、咄嗟にあれこれと判断するのはかなり大変だっただろう。けれどもその大変さが、なんだか妙に面白かったのである。
今回使用した単焦点はこういう距離感の写真を撮るのにはちょうど良いレンズだったので、お子さん1人をしっかり写すぶんには特に苦労は無い。
しかし背景を入れ込んだ、引きの写真を撮ろうと思うと。普段ならレンズをシュシュッと触るだけですむ所を、レンズ任せではなく自身の脚力でどうにかしなければならない。
単焦点とは、人を走り回らせるレンズである
お顔が見えるように近づいて撮った直後、今度はこの距離感になるまで走る。シュタッと走る。動いている相手から、数秒で10mの距離を稼ぐのは意外と大変だ。でも場所がわかる写真はぜひに残しておきたい…そう思うなら、走るしかない。
しかし、せっかく取った距離であっても。「あ、いま良い表情してる!」と遠目から気づいてしまえば、今度は慌てて詰める必要がある。こんな良いお顔は、豆粒ではいけないだろう。画面いっぱいに写したい。
かと思えば、何やら面白そうなポーズを目にして。「これは全身を写さねば…!」と慌てて距離を取る。こちらのおじいさま、とてもかわいらしい。
が、カメラのレンズを向けられたことに気づき寄り添うふたりの姿に「ツーショット写真なら、表情がよくわかる方が…」と、またすぐに駆け戻る。せっかくお孫さんが楽しそうな顔になっているのだから、アップでしっかり残したい。
撮影の1時間の間こうして、"寄って離れて、離れて寄って"を繰り返し。寄せては返す人間波となって、定期的に前後に移動しながら撮りまくる。
撮りたいシーンにレンズは関係ない
引きの写真、子供さん主役の写真、バストアップ…基本のバリエーションは押さえておきたいし。
写真には、リズムが必要だ。
寄りの写真ばかり引きの写真ばかり…と同じようなものが続けば、メリハリがなくなりだれてしまうだろう。
引くと場の空気が伝わり、寄れば心が伝わる。だから思い出の日の写真には、そのどちらもが必要なのだ。
撮りたいものを撮りたいように撮る為に、走る。
ここで再び、レンズの仕組みについて
しかし大変なのは、走ることだけではない。1番問題なのは、単焦点という動かせない枠の中で人と背景を配置することだ。
どういうことか説明すると、まずズームレンズというのはこの2枚が同じ位置から撮れる実に便利な道具だ。
一方で単焦点レンズというのは、2枚目の画面の広さで常に枠が固定されているようなものだ。(この枠の大きさは、単焦点レンズの種類によって違う)
だからこの見える範囲が狭い枠を使って、1枚目と同じくらい背景を入れたいと考えるなら。先ほどから書いているように、自分が動いて距離を取るしかない。
レンズには、遠近感という罠がある
が、ここで問題なのが…レンズというものがある特性を持っていることだ。1枚目の枠(広角)というのは、実はとても遠近感がきいている特別な枠なのである。だから手前にいる人物は大きく、背景は小さく写っている。
けれども2枚目の枠は、1枚目程には遠近感がきかない枠なのだ。従って背景が同じくらいになるまで距離を取るだけでは、1枚目のような写真にはならない。手前の人物がとても小さく目立たなくなってしまうのだ。
どういうことかというと…
場所が違うのであれなのだけれど。2枚目と同じくらいの枠(焦点距離)で1枚目ほどに背景を入れようとすると、人物はこのくらいのサイズ感になってしまう…みたいなことを想像してもらえればと思う。
こうなると、人物の表情があまりよく見えない。じゃあどうすればいいのかというと、答は単純だ。人物にもっと手前まで出てきてもらえば良い。
遠近感が強くないぶん背景からはいつもより距離をとり、人物はいつもより手前に配置する。
この背景と人物の、いつもとは異なる位置関係の把握こそが単に走り回ることよりも大変だった部分だ。
いつもと同じなのに、同じじゃない
例えば、この神社前での写真。ズームレンズならこの位置でこの人物の大きさだと、普段はしっかり背後の建物が入るはずなのだが…単焦点レンズでは見切れてしまう。
だから何度も撮影した慣れ親しんだ場所でも、いつもの位置でいつものように…とはいかない。人物の立ち位置、カメラの位置、構図などを単焦点仕様に調整し直す必要がある。
普段なら階段を登り切った位置からズームで撮っているカットも、駆け上る途中でいったん立ち止まり振り返って撮る。
特に注意するのが、場所がわかるように背景を入れたい時だ。これは、いつもと全然違うタイミングでシャッターを切る必要がある。
たとえばいつもなら階段を上がりきって、さらに進んだ場所で撮ってもババーンとお城の全体が写るというのに。
この時に使っていた単焦点レンズだと、階段の半ばまで降りてもまだ近い。画面からはみ出してしまう程に、お城が存在感を主張している。
これは…もしや縛りプレイというやつでは?
こんな風に、条件に合わせた微調整を必要として。走り回らせるだけでなく、場合によっては頭脳プレイまで要求してくるのが単焦点レンズだ。
素直にズームレンズを付けてくるべきだったか…と頭を過ぎらなかった訳では無いけれど。威圧感のない小さなカメラとレンズだからこそ、掴めた絆があると信じたい。
それに、なんだかこの"いつもと違う"は面白くもあったのだ。なんだか、ほら、あれだ。ゲームの縛りプレイみたいで、逆に「やってやるぞ」とガッツが湧いたし。普段とは異なる思考を求められるというのも、楽しい刺激だった。
レンズが変わると、世界が変わる
これが一眼レフというカメラの良い所なのだけれど…レンズを変えるだけで世界も変わる、見えるものが変わってくる。思考で見えている世界を変えようとすることって、なかなかにハードルが高く難しいけれど。カメラというのはレンズを変えるだけで、ひょいっとそれができてしまう。
仕事では、普段はズームレンズに頼り切った撮影をしているけれど…この時の撮影で。趣味で撮っていた時の、その感覚をふっと思い出した。
写真がマンネリになってしまった時、何を撮っても同じに思えてしまう時、新鮮みが感じられなくなった時。
そういう時は、今まで付けていたレンズを別のものに付け替えるのだ。ズームならば、単焦点に。単焦点であればズームに戻してもいいが、別の焦点距離のものにするのも良いかもしれない。そうしてファインダーを覗き込むと、これまで見ていたのと同じ物が…不思議と別の景色となって写り込んでくる。
その視界の新鮮さにハッとさせられる瞬間が、好きだった。
すっかり忘れていたカメラの楽しみ方を、思い出したような気がした。仕事で使うレンズはほぼ固定しているけれど…今度の休みは。いつもと違うレンズを付けて、いつもと違う景色を見に行くのも良いかもしれない。
この1ヶ月、ずっと家に篭もっていたからこそ…見慣れない景色が見たい、そんな気がする。
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広島で、大人から子供まで人物の出張撮影をしています。自然な情景を、その時間を…切り取って残したスナップ写真は、お客様だけでなく自分にとっても宝物。何かありましたら、ぜひどうぞ!
ユルリラム
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