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若おかみは小学生(絶対)

大人が泣ける映画だとしても児童向けコンテンツはひたすらに児童向けであって僕たちを泣かせたり喜ばせたり安心させるための道具じゃ無くない~~~???

大人だって児童向けコンテンツに期待していいし評価していいのかもしれないけど、それでも、この物語を「グロ」「意味がわかると怖い話」とするのは感動ポルノと同じくらい嫌だな~!!!(主観)の話


NHKでの放送を録り損ねたのでレンタルで鑑賞したよ

交通事故で両親を失い祖母の営む旅館に暮らすことになった主人公おっこが若女将として幽霊やクラスメイトや旅客と交流することで旅館や街や自分の仕事が大好きになっていく物語

(以降ネタバレ)こうやって書くと暖かくて長閑なイメージだけど主人公のフラッシュバックが要所要所で描写されていてその緩急が独特

予備知識無しでみたけど、異常に前を向こうとするおっこの歪さにビショビショに泣いて、画面の美しさに圧巻されて、EDの素晴らしさに感動して、これからの映画がこんな風になればいいなって思った

特にPTSDの表現はこっちまで不安な気持ちになるほどリアルだった すぐ隣の人の声が遠く曇っていく感覚が追体験できる 

(あとの話になるけどPTSD描写が生々しかったからこそ人はこの映画に変な役割を期待してしまうのか?)

インターネットの皆さんもさぞや絶賛しているんだろうとツイッターみると観測史上最もバズってるのがこれ


ええ~!!野暮 不粋 晒されバズりか?って思ったらわりと支持されてて、グロ映画扱いされてる~!!!確かに…そう見る人も居るのね…って思ったけど、さすがにイマジナリーフレンドでは無くない?!ファンタジーを知らんのか?!私はそんな風に観なかったしこんなに心震わされたからこんな穿った批評にはバーカバーカって言いたいけど知性が無ぇ~~~何に関しても擁護側に回るとバカ扱いされやすくて風当たりが強いから嫌だけど自分の解釈を記録するよ

連ツイ含めて共感できる部分

・グローリー様がフラッシュバックに苦しむおっこを「気晴らし」としてショッピングに連れて行き、おっこに試着室ファッションショーを見せびらかすシーン

→単純にイライラした 精神が限界の時に他人の試着室ファッションショー見れる?うるせ~知らね~帰りて~になる

・加害者家族との終盤シーン

→確かに違和感があったしまだ小学生の被害者が目の前の加害者を許すしかない状況は残酷だなぁと思った

でも私はこの物語を「ひたすらにおっこが生きていく物語」であって主人公が遺族であることが主題では無いと思っているので、このシーンは「おっこが加害者を許す」意味よりも「おっこが初めて現実を受け入れる」意味合いが強いように感じたよ~!

この映画、おっこは自分が事故に遭ったことや両親を失った実感が異常に薄くて、だからこそ演出でも現実と空想の区切りが曖昧なんだけど、だからこそこの終盤シーンはおっこが現実を受け入れるために必要だったんじゃないんかな 

批判ツイでは「おっこは労働によってしか存在価値を見出せなかった」とあるけれど、主人公は「家族を亡くして労働させられる可哀想な子」じゃなかったよね

おばあちゃんが街の人がクラスメイトがどれだけおっこを大切に想っているか、あの街の美しさがどれだけおっこに生きる希望を与えているかが映画で描かれていたんじゃないんかな

(そもそも現実的に大人が小学生に労働者としての役割を期待するわけないのでこの映画の大人がおっこに与えたのは労働じゃなくて居場所だと感じた)

私はそう思うけども、でも、確かに主人公は頑張りすぎてたしそれを大人が感動感動感動と評価するのはエゴかも

じゃあ子どもから観たらこれはどんな物語かな

もし私が小学生だったなら、おっこはただの「新しい場所で生きていく女の子」で「幽霊とお話できる女の子」で「旅館で働く女の子」で、事故の被害者ってこと忘れてしまう程だったと思う 

おっこは被害者感覚が薄い分、映画でも途中まで両親の死が明言されないほどに被害者としての描写が少なかったし、同情するタイミングがあまり用意されてなかったから

そもそも子どもの頃って空想の世界に慣れている分、「親がいない主人公」ってわりと属性としてありがちで、わざわざその孤独とか苦境を意識しなかった

親がいない主人公、数えきれないほど居るよね、そして親の不在を嘆く主人公がどれだけ居たかな?

桃太郎は?『時間どろぼう~』のモモは?ドラゴンボールの孫悟空は?

そもそも現実でも自分の痛みや躓きなんて無視されて当然で現実は進んでいくし進んでいかなきゃいけないもんね

現実でも既作品でも喪失は当然乗り越えるものとして扱われる中、「若おかみは小学生!」のフラッシュバックやPTSD等で喪失の面影が遺る描写って子供向けのコンテンツとしては丁寧すぎるほど丁寧なのでは…?

だからこそそこに被害者としての主人公を大人は期待するわけですが、子どもにとってはそうじゃないよね

私は「若おかみは小学生!」ってタイトルから旅館で働く主人公が活躍するお話なんだろうな~って小さい時から思ってたよ…

大人はどうしてもおっこの可哀想さや辛さにフォーカスを当てちゃうけど、そもそもこの物語のベースは若おかみ・おっこの成長物語やんね

彼女には一度立ち止まり自分の傷を重く受け止めてケアされることが現実では必要だったかもしれないけど、彼女自信が前に進んでいこうとしたから物語が始まったし

とにかく私は若おかみ・おっこの成長物語としてこの映画を観て、交通事故をただの舞台装置としていない所やおっこの心情描写や、彼女に「生きていこう」と思わせる街や人の美しさに感動しました!

ここまで描写し切った児童向け映画にこれ以上のものを望む時それは誰向けの映画になりますか?

ただ実際、同じような事故の被害者が鑑賞した時にこの映画を「過度な適応の強要」と捉えてしまう可能性が本当にあるなら批判も致し方なしなのかな

う~ん 知性と言語運用能力がアレすぎて哀しいな

父親に「若おかみは小学生」観るよって言ったら「若おかみは超淫乱?」って聞き返されたのも哀しかったな


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