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「自慢する上司、管理職にはあるまじきだが...」 サラリーマンあれこれ#8

まだ僕が20代後半の頃だから、かれこれ30年以上前。暑苦しいほど上昇志向の強い上司に仕えたことがある。

30代そこそこの営業課長代理として3人の部下を率いる彼は、ファーストネームも漢字こそ違えど「ひでよし」。

ある意味、絵に描いたような出世意欲の高い人だった。

持ち前のフットワークの軽さと軽妙なトークで数々の案件を受注し、中でも難攻不落と言われていた某電気メーカーへの大型受注は皆が一目置く成果であった。

ポジティブ思考で、負けん気が強く、有言実行の人だった。部門内での営業成績は常に上位に位置していたと思う。

ゴルフにも熱を上げていた。当時はバブル期だから多くの人がゴルフをしていたが、彼は自ら「これからのビジネスマンはゴルフができないとな」と、言葉を憚らなかった。

車もBMW。小さめのBMWで決して自慢するほどの車でもないと思ったが、彼の口にかかると、「できる男はこのくらいの車には乗らんとな」と言いながらビジネスにおける外車の効用を熱弁していた。

ある日の会社関係者のお葬式でのこと。
式が終わり会場から駅に向かおうとすると、上司が近寄ってきて車で一緒に帰ろうと言う。断る理由もなく乗せていただくことにしたのだが、ズンズン歩いて式場から離れていく。しばらく歩いて式場も見えなくなったところに、上司の車は駐車してあった。

上司曰く、「今日は多くの上位職の方々が来られたからな。外車を見せると悪いだろ。」

僕には意味不明だった。こそこそ隠れるくらいなら、電車で来れば良いではないか。いや国産車を買うべきではなかったか。

彼は、部下に対しても負けん気が強かった。たまに僕が案件を受注すると、「この顧客は、その昔俺がな…」と、いつもの調子で始まる。

僕が案件対応に苦労していると、「その昔俺が某電気メーカーを受注した時には…」と、お得意の武勇伝が始まる。

どんな話題も「その昔俺は…」の自慢系経験談になるのには辟易とした。しかも話が長い。

しかし、そんな面倒な上司が凄さを見せつけた時があった。

ある時僕は、皆が着目するような大型案件の入札作業を行っていた。ぎりぎりまで情報を集め、用意周到な準備の上で入札を行ったつもりだった。結果は見事に受注。皆で大喜びをしたのも束の間、僕は入札資料の中の金額積算資料に大きな間違いを見つけてしまった。

完全な赤字入札。このまま続ける訳にはいかない。
僕の頭に浮かぶのは、顧客への説明、お詫び、そして入札取消し、出入り禁止…

ところが、かの上司は全く違う反応を見せ、お先真っ暗な状態で、うなだれてばかりの僕に言った。

「お前が間違ったから受注できたんや。そもそもまともな価格での受注なんか出来っこない。」
「見す見す、こんなおいしい案件を逃せるか。俺が本社の上に掛け合って赤字受注を説得してくるから。」

彼は僕を伴って、その日の午後に新幹線に飛び乗って本社に向かった。
企画責任者に説明するも埒が明かない。経理部門に何か良い案はないかと相談するもつれない返事。最後には役員室に飛び込んで直訴した。

その日の夜、僕は「赤字受注で進めよ」との決裁印が押された書類を手に、新幹線で帰路についた。信じられない出来事だった。

その後、お互いの人事異動があり、十数年後に再び本社ですれ違う。

その日は、僕が部長としてトップ肝煎りの大きなプロジェクトを任されることになり、本社でプロジェクトメンバーとの初会合を開いたばかりだった。

プロジェクトのことを聞きつけた元上司は言った。「大きな仕事してるらしいな。俺も昔プロジェクトを引っ張った時はな…」「今も三つプロジェクトを抱えててな…」

十数年の時を経て、当時とまったく変わらない元上司の言動。
鬱陶しさを通り越して、淋しさを感じた。

「自慢と言うより聞いてほしいんだな、この人は。」「たぶん、彼の中では、僕は数少ない甘えることができる存在なんだろう。」

昔の僕なら真っ向から否定したり、嫌みの一つも言っていたに違いない。
ようやく、こんな場面も受け入れられる様になったのだと思う。

そして、僕もまた部下への言動として、気付かぬ自慢やマウンティングを行っているのではないかと思うと不安になる。

反面教師として学んだ三つの事。
・過去の経験談は、成功事例は自慢となり、失敗事例は教訓となる。
・部下の報告は、既知の情報であっても、ないがしろにするべからず。
・部下が話しやすいように口火を切ったら、後は聞くことに徹するべし。

一方で、今にして思うと、あの時本社に乗り込んだ元上司は、単純にあの大型受注が欲しかっただけだろう。
しかし、絶体絶命の場面においても、ブレずに諦めない行動力は、僕の心に深く刻み込まれた。

加えて言うと、令和の時代においても、ゴルフや車までも仕事に結びつける上昇志向は、仕事への情熱の証として、決して悪くないのではないかと思えるのだ。

腹立たしく、滑稽で、淋しさを感じた元上司は、部長職の一段上の事業部長を最後に60歳定年を迎えられた。

今は何処で何をされているのやら。
目をつぶると「その昔俺は事業部長でな…」の声が聞こえてきそうである。

次の上司につづく。





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