鉄火場の野次

私は本場観戦が好きだ。
そして本場観戦の楽しさの1つが野次にある。
と言っても過言ではないほど、
私は野次が嫌いじゃない。
むしろ競輪場に来たというかんじがするので
正直わりと好きだ。その野次込みの空気感が
非日常的で好きなのだ。

その飛び交う野次に
初めて来た方は驚くかもしれないが
野次とは、競輪が純粋なスポーツではなく
公営競技・ギャンブルであることを理解できる
『らしさ』の一部分だと思う。

だから私は、競輪らしい野次が好き。

でも中にはそのような
意味を持った『野次』ではない、ただの暴言が聞こえてくるのも事実。
私も時々本場に行くので実際に聞いたことがあるし、最近は中継を見ていてもがなり声が聞こえてくる。


私は競輪を学び始めた頃
そのスポーツ性の方を主に捉えてしまっていた。
少し違う言葉で言い換えると
競輪ファンの心に真に寄り添いきれていなかった、ということなのだと思う。
でもだんだんと、競輪はスポーツでもあるがギャンブルなんだと認識できるようになっていき、現在に至る。
公営競技であることにこそ
その醍醐味や、面白さがあるのだと思う。

しかしここ1.2年でなんとなく、
ファン層の変化、それに伴う考え方の変化を感じている。

去年現地観戦に行った時
素晴らしい突っ張り先行をした選手が2着
マークした選手が1着のラインワンツーだった。
ゴール後私は大変感動し
先行選手へスタンディングオベーションの気持ちだったのだが、
なんと1着選手にばかり拍手が送られていた。
それが非常に衝撃的だった。
もちろん、私が1着選手を祝福していないわけではない。


競輪が広まるのも
売上が好調なのも嬉しいことだが
スポーツ性の面で売ってばかりだと
この空気が主流になってしまうのではないか。
これが私が1番危惧していることで、

1着選手は祝福しよう
選手はみんな頑張っているんだから、ひどい言葉を言っちゃいけない

こういった考え方は私からすれば、
とても競輪らしくない。


当たった当たらないゲームの競輪や
走っている選手がかっこいいの競輪は
私にとっては興味の対象外で
『なにやってんだ』の1着もあり
『よくやった』の9着もある
それが私の知っている、私の好きな競輪なのだ


すでに引退された選手が以前
『野次を言われなくなったら選手として終わり』
と話してくださったことがある。
その選手はこうもおっしゃっていた。
『どんどん選手を野次ってください、頑張れますから』と。

勿論それは、暴言を吐いてください
あなたのストレスの捌け口にしてください
という意味では決してないことは、
競輪ファンなら分かると思っている。

そして私も、競輪らしい野次は好きなのだが
今業界が目指す競輪場にしていくためには
ただのストレス発散的ないき過ぎた暴言は
レッドカードだと思っている。

ただ、やはり競輪はギャンブルである。
私はこのnoteを書いていて
昔の競輪場に思いを馳せた。
物を投げ込まれたこともあったと聞くし
身の危険を感じたという選手の話もよく聞く。
今では考えられないくらいのものすごい場所だったのだろう。

私は行ってみたい、その鉄火場に。
そしてその熱気と野次にもみくちゃにされても
しっかり右手で車券をつかみながら
競輪観戦をしてみたい。



あゆちゃぴ

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