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yuka~放課後~

日曜のあの日から。
オレは司さん、yukaと話をするために、放課後の製図室に向かい、
文化祭製作の模型グループには、全く顔を出さなくなった。

いや・・・出さなくなった・・・事もないか。

yukaは、オレのグループのパース絵担当だった。
もちろん、他のグループにもパース絵担当がいる。

模型製作は試験室&工作室に分かれていて、模型製作をやっている。
パース絵と製図担当が、製図室で図面や絵を製作していた。

以前に書いたように、高校3年の文化祭まで、男女間の行き来は全く
無くて、その3年間の「不思議な関係の箍が外れた」ように、
男子生徒と女子生徒の交流が多くなっていた。

しかし、それは「製作グループの範疇」であって、まだまだ1対1で、
話が出来るような状態ではなく、そんな事をしようものなら、男のダチに
何を言われるか分からない雰囲気さえありました。

なので、オレは。
「製図室にいる仲間が少なくなってきた所で、製図室に向かう」という、
作戦を立てた。
本来は、誰もいない=yukaしか製図室にいない環境っていうのが一番
なんだろうけど・・・。

その「願望」というのは、案外簡単に出来上がってしまった。

yukaは、パース絵に向かうと、誰とも話す事無く黙って集中し、
絵を描いていて、時間が経つのを忘れるほど。

その中で「人の入れ替わり」が起こる。

それは「全日制と定時制の入れ替わり」だ。
そのタイミングで、多くの仲間が作業を止めて、学校から出て行く。

しかしyukaは製図室から3年生の教室に移って、絵を描いていたんです。

秋の午後6時。

もう夕日はだいぶん奥に沈みかけて、教室も西陽から街の灯りが気になる
時間になる。

その時間になるまで、模型製作の真似事や、街で時間を潰す。
そして、その時間になると、教室へ向かう事ができる。
そしてyukaとふたりっきりで話ができる。

定時制の生徒が来る頃に、学食に菓子パン・惣菜パンが並ぶ。
それを1~2個買って、自販機でジュースを買って。
yukaのいる教室へ。

「おー」
「おー」
二人は間延びした「おー」だけの挨拶から会話が始まってた。

模型製作・製図・パース絵の進捗状態から会話は始まり、
初めて互いに知る男女同級生の情報交換。
好きだった深夜ラジオの話から、昨日見たテレビの話。

今思うと、振り返ってみると。
yukaはオレが来るのを待っていたと思います。
なぜなら、オレが教室に入ってくると、パース絵の手を止めて、
絵道具を片付けて、話をする態勢に入っていたから。

校舎が閉門されるのは、定時制の部活が終わる21時ごろ。
その3時間程度の会話が、ずっと教室で続いていたんです。

本当に残念なのは・・・。
会話の内容を全く忘れてしまっている事。
断片的な言葉は覚えていても、その会話を続けている時間こそが、
yukaとの最高の時間だったから。

その教室での会話は、
yukaと最初の別れとなる卒業式前の大喧嘩まで続くことになります。

学校から帰る時は、もちろん一緒に帰る事は出来ない。

なので、教室の階段を降りて、
自転車置場でyukaが自転車に乗るのを見届けて。
正門の前でさよならをする。

まだこの頃はオレには寂しさよりも、yukaと話ができた満足感で
一杯でした。

オレにとって、最高の時間が過ごせていた2週間ほど経ったある日。

yukaが初めてオレに「お願い」をしてきたのです。

「なぁ。今日は家に帰って。おねがいやから、今日だけでもええから。」と

自分が同級生の親の家に転がり込んでいる事を話していたので、
yukaから家に帰って欲しいと言われたんですね。

その時は理由が分からず、
「なんで?前にも話したやん。家はもうぐっちゃぐちゃやって。」とオレ。

「そうやけどなぁ・・・。けど今日だけでもええんよ。今日だけは。」とyuka

理由を全く話す事無く、yukaはオレに家に帰るようにすすめる。

「今から家に帰るんかぁ・・・。遅い時間になるし、まぁええかぁ」とオレ。

家に帰るように強くすすめる、yukaの気持ちを考えたのですが、
家庭不和の話をしていたので、それなりにyukaが解決できるように、
まずは、家に帰ってみればと、言いたかったんじゃないかと。

その日、自分は終電前1つ前に乗り、自宅に帰りました。

親は自宅に帰った事で喜んでいて、深夜ながらオカンが晩メシを作ろうと
していました。

その時間に家の電話が鳴った。

その時は、オレが電話に出たんです。

「もしもし」
「司と申しますけど、ゆうきくんいますか?」

電話の声はyukaでした。

ゆうさん

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