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誰かのどこかの片隅に

今週たて続けに、小学生の頃の同級生やおんなじ登校班だった先輩とひょんなことから、再び出会うことになりました。高校で大阪市内に行った時から、怪しくなり続けている僕の幼い頃の記憶ですが、幸いなことに向こうの方から、「いそざきくんだよね」って気づいてくれたことが少し嬉しかったです。目立たない人生を目立たないように過ごしてきたなと、40年近い人生を振り返って思いますが、そうやって誰かの記憶の片隅に位置どれたことがささやかな喜びになってきました。

少しばかりのお茶とお米と野菜を作って、のんびり生活をしています。たまたま会う人に、「いつもお茶飲んでるよ!」とか「お米美味しいね」と言われると照れてしまいます。いやいや恥ずかしいですよ。黙って見守ってくれる人たち。ちょっと味変わったねと気づいてくれる人たち。みんなの体の片隅に僕と僕の農産物が位置どれることがささやかな誇りです。

ポッドキャストやブログ、youtubeを見てくれる人も増えました。もっとこうすればたくさんの人に読んでもらえるかなと思うと、もっと改善したくなるのですが、結果を求めれば求めるほど、やる気が削がれていく気質なもので、誰とも比べず、結果を求めず、淡々と思いつららと書いたり、喋ったりするスタイルをお許しください。何か一つどっかのフレーズやセンテンスが誰かの心の片隅に居座ることができたら、それはそれで幸せなことかもしれません。

父は読書家で休日になると、東京の普通のカフェで歴史小説をのんびりと読むことを楽しみにしていました。ドトール、エクセルシオール、エトセトラ。笹塚駅の構内のカフェで、吉村昭を読んでた父。読むばかりでなく、何か書き残してくれてたらよかったのにと僕は少し恨み言。迷った時、困った時、頑張りすぎた夜と、誰かにフラれた雨の日に。4人の子供たちにとって、安らげる言葉を残せますように。


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