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【実況する美術鑑賞#58】クリムト「死と生」【60分で1記事】

*4/12 ルール変えました。
 ただじっくり見て思ったことを書きます。

・作品を鑑賞しながら実況し、文字起こしする。
・話すことがなくなるまで実況する。
・作品に接近し、そして離れてゆく意識をする。

クリムトの「死と生」と言う絵ですね。最初に自分が知っていることを話すと、左側にいるのは死神。棍棒を持っていて、右側にいるのが「生」のイメージだと思うんですけれども、「生」の塊と言うような感じですかね。

いろんな人が折り重なっていて、折り重なっている姿は、死体の山にも見えたりもします。生き生きとしてる赤みがある人もいる一方で、ちょっと青白いような姿も見えます。あばら骨が見えている女の人もいたりとか、筋肉隆々なのか、多少痩せ衰えているような、そういう感じもしますね。あと男性の姿がすごくこの右の塊の中には少ないなって思います。ものすごく生き生きした「生」と言うよりは、生まれたてであったり、死期が迫っているような、そういう命の灯が灯った瞬間、消えそうな瞬間のような、いろんな「生」と言うような感じもします。


人物描写は複雑な角度から人物を描いていて、赤ちゃんの胴体であったりとか男性の顔とかはかなりパースが歪んでいるというか、上手に描きたくてこうなったのかな、どうなのかなって言う、リアリティーと抽象化のちょっと間みたいな・・あえてこう描こうとしたのか、もしくは複雑なので描くのを諦めたのかどっちなのかなって言うような、そんなふうにも見えます。

目を開けている人が、左側の塊の左上の女性っぽい人1人で、この人は人形みたいな生気のない顔、死体のようにも見えます。死神の目線はこの人を見ているようにも見えたりとか、死神の眼底?眼球が入る凹みの中に瞳のようなものが見えるような気もしますね。

死神が持っている棍棒の形は、死神の輪郭で切り取られたような形をしてますね。もし棍棒がこれ以上長いと(死神の輪郭からはみ出してしまうので)ちょっとフォルムとして違ったのかなと思いますね。そう見ると、この死の塊と生の塊が、それぞれの塊、アメーバなのか、魂なのか、そういう2つのものが、画面の中に大きな塊としてあるように見えることが重要だったのかなと思います。


記号的なものがたくさん描き込まれていて、そうですね、「生」のほうは細胞のようにも見えたりとか、1番上のほうの柄は花畑のようにも見えるかなぁ。クリムトは結構風景画とかもすごく可愛くて、そんなのを展覧会とか見たなと思い出しますね。

「生」の塊の中は、うにょうにょした曲線みたいなのが、人の体と、この布というか柄の輪郭のところにあって、それがワカメとか昆布のような波打った形、魂とかオーラみたいな風にも見えますね。

死神のほうは十字架がたくさんあって・・十字架とも取れるし、確かクリムトは男性が四角いイメージで女性が円のイメージ。みたいな描き分けをしていたって聞いたことがあるので、もしかしたら1つの大きな長方形の四角(すみ)から、四角形を切り取った残りが十字架みたいな、地と図を逆に考えて捉えることもできるかもしれませんね。草間弥生の水玉模様を、水玉と捉えるか網目と捉えるかみたいな。

「生」の塊の周りにも、骸骨の周りにもオーラみたいなモヤモヤっとした部分があるのが、そういうオーラ的なものなのか、もしくはいろいろ輪郭を書き直していったのか、どうなのか。

右側の画面の唯一の成人男性の形が、この死神の形と呼応してるようにも見えるかなぁ。女性と男性の対立でもあったりもするのかなあ。男性器的な細長い左側の形と比べて、広がりのある右は女陰のイメージアイコンみたいなものかもしれないですね。あまりバランスよく男性女性が散りばめられてないってのはちょっと気になるかなぁって言うところはありますね。

あとこの男性の下に描かれている女性の左手ですかね。その輪郭がもう頭のところまではみ出してるのは気になるっていうか。完成度のムラが結構あるような気がしますね。死神の顔、それからこの赤ちゃんの周りの人物、男性の背中なんかはかなり描きどころとしてグッと力入ってるんだけども、それ以外は割と形骸化していくような、そういう画面の中の強弱があるような気がします。

今よく見ていて、死神に足があるように見えましたね。下のほうにちょんちょんと足なのかもしれませんね。

はいというところで、いろいろ画面をざっと探って見えるもの、自分の知っている知識的なものをいろいろ書き出してみたので、ちょっとここからは作品から離れるようなそういうこと想像していこうかなと思います。


赤ん坊の右足の下にある絵柄が、コーヒーみたいに見えて、右側の全体の柄がカフェとかレストランとかのテーブルクロスみたいな、そういうあっけらかんとした明るいものにも見えてくるし、そう見ると、死神の着ている服の柄とか、そこまでおどろおどろしい物ではないというか、単純にちょっと多少楽しげな・・・骸骨の顔っていうのは、非常に恐ろしいけども、これが死神の方の柄が例えばカーテンの柄だったりとかして、周りに流れている音楽がちょっと明るいものだったりしたら、そんなに怖いものには見えないのかもなぁっていうところで・・なんて言うんだろう。すごくいろんなものが画面の中で等価というか、正が良き、死が悪しきっていう感じでもないような気がしていて。生の中にも、全員が生き生きしているわけじゃない、そういう感じもあって。こっちがいいって言う単純なイメージじゃないような気がしますね。

右側にはペットとか動物とかいてもいいかもなとも思ったりするけど・・そういうのがほぼなくて、この絵に描かれているものは、ほぼ人間と人体の中にあるものだけですね。骸骨が持ってる棍棒みたいなものが一体何なのか・・何でできてるのかっていう感じですけど、これもなんか大腿骨だったりってちょっと思ったけど、それにしてはぐにゃぐにゃしすぎかなぁ。

全体の画面はコラージュっぽい感じもありますよね。それぞれがバラバラの空間から切り取られて1つに合わさったみたいな。だからそうですね、別に右側の人たち同士に関連性を感じないというか、1つの家族だったり、人間全体って感じもしないですよね。ヨーロッパ系の人ばっかりみたいな感じがあるので・・

描かれている人たちの性別が、全部別だったらどうなるんだろうなぁとかもちょっと思ったりとか・・右側の塊の佇まいが、なんていうのかな妖怪の「ぬっぺほふ」みたいな、ドロドロした怪物のようにも、遠くから見ると見える。千と千尋の腐れ神みたいな、うねうねした妖怪のような。

佐脇嵩之『百怪図巻』より「ぬつへつほう」

明らかに、右と左の塊の間には断絶があって、例えば死と生と言うと、輪廻転生みたいな、それが最後はつながるんだって言うイメージよりは、この画面的には完全に断絶している感じがするなっていうところ。ただそれが鑑賞者とか他のものを経由すると、3次元的につながるというか、つなげてしまうみたいな、そういうことを思いましたね。それが何なのかっていうのはわからないですけど・・そうですね。だから2次元的な変換って言うよりは、第三者を通すと、3次元的にこの概念がつながるというか、そういう考え方はちょっと面白いのかもなって思いました。直線的なモチーフと曲線的なモチーフが左右両方に入っていて、骸骨の中心にある丸いマークなんていうのはすごく特徴的に思うし、ちょっとピースマークみたいなすごく象徴的な、そんな気がしますね。(鑑賞17分)

あなたにはどう見えましたか?
また次回!


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