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古川監督からの挑戦状-2層展開作品/舞台創造科とは-ロロロ感想

 8/7公開延期されていた「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト 再生産総集編 ロンド・ロンド・ロンド」が公開された。有給を取って鑑賞し、4日間で4回見た。
 予告映像も公開されネタバレOK感が出てきたため感想記事を書く。見る度に劇場版自体、TV版、作品全体への発見がある為現時点での雑記になる。
 自分は監督からの挑戦状を受け取った気分になったし、2層展開式の真実をこれから目撃することになるのではと考える。

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 4回見た上で劇場版が公開した事実がどこか実感できていない自分と、次が待ち遠しい自分が共存している。再生産総集編の名に相応しく、ただの総集編ではない次へと踏み込む気概を感じられる作品だった。事前公開の場面写でばななが運命の舞台に立っている時点で少し予感していた部分もあった。
 TV版では7話に仕掛けられたドンデン返しの都合上、話が前後する場面も多かった。今回順序を整理し、華恋とひかりに焦点を当てたことで気づいた点が出てきた。



・劇場版になって気づいたこと


滑り台の対比
 5歳の約束を交わした時はひかりが華恋を登り口側から引き上げている。
 4話の放浪後、レヴューの代償を告げるひかりを華恋が滑り台側から引き上げている。
 
ペロペロキャンディ
 華恋卓上のペロペロキャンディが戯曲翻訳をする時期に小さくなっている、消しゴムなのか?

運命のレヴュー
 テーマを演じるほど舞台が応える設定と各話ごとの対戦カードを見ていくと勝者がテーマに寄り添っていることに気づく(嫉妬のみ外れるか)。
 真矢クロのコンビであっても5歳の時点で運命を交換した華恋とひかりに運命というテーマでは勝てなかった。

舞台装置
 TV版では約束タワーブリッジのみ名前が登場したが、今回全舞台装置の名前が明らかになった。華恋は最後の最後まで他人の舞台で戦ってきて自分の舞台に辿り着いたのかもしれない。

・ロンド・ロンド・ロンドにおける違和感


 大場ななのループ設定、リアタイ時違和感が有りそこまで驚かなかった(#1の時点でその設定があったことの方が驚いた)。アニメ前のばななは目立たず仲間を見守る印象だったため劇中の妙に引っかかる言動が7話までのタメになっていた。今回の劇場版でも引っ掛かりが多くあり、これらには意味があると考える。

1.ロンド・ロンド・ロンドの数字
 これは話数なのか、何を意味しているのかまだわからない。
1の次が3で飛んでいること、最後7で終わること等今後注目して見返したい。
2.ロンド3で置いてある最終話写真
 最初は最終ループのなながアニメの裏できりんと会話をしている用に思えたが、ここで違うと分かった。真矢戦後のシーンで最終話で撮影した写真が置いてあるのだ。ここから後述の考えに至る。

3.ばなな敗退後の純那へのコメント
 「純那ちゃんのお陰でここまで再演することができた」
純那に救われたななは、最終ループのななで再演は終わっているはず。ここも違和感。 
4.TV版EDロール後の場面、運命の舞台に立つばななとキリン
 ばなな「まるで舞台少女そのもの」
 気怠げなキリン「スタァライトそのもの」
 ここで言うキリンの「スタァライト」は意図的に混乱する表現になっていて戯曲「スタァライト」ではなく「少女歌劇レヴュースタァライト」を指しているのではないか。
5.カットされたシーン
 繋ぎや構成上の都合と、物語上の意味どちらか分からないが気になった点
・純那の敗北シーン(他全員有る中唯一カット)
・9話の純那「ななが大事にしてくれたもの、全部持っていってあげて」
 ここは切られている一方11話の「こんな寒さ、知らないでしょ」の件はある。
・12話きりん「貴方と一緒に」
 台詞はカットされているがキリンが視聴者側を見ている引きの画は一瞬使われている。
6.ED冒頭のひかり
 オッドアイに見える

・舞台少女の死
 再生産と言うキーワードに連なり、舞台少女の生死に関連する話がTV版から何度か登場する。運命の舞台へ向かう華恋を見送る真矢や贖罪を続けるひかりを見つめるきりんの台詞だ。今回ショッキングな映像で登場する舞台少女の死は結末の続きを描き、次の舞台へと進まない事が死と考える。

・2層展開/舞台創造科


 舞台を原作としたアニメ作品を「2層展開」としてきた本作、古川監督は自ら作品展開を見越したアニメ作りをしてきた。
 その上で今回の再生産総集編である。改めて導入文を見返す。

 最終ループに入ったばななの視点で描かれた導入文と思っていたが、ブラフだった。自分の解釈では作品が3層構造になっている。1つは作品世界、2つ目が作品と現実の狭間にある世界(ばなんときりんが会話している場所)3つ目が我々の現実世界である。カットされたきりんの視聴者に語りかけるシーンや本編後に見えて99回スタァライトの台本を持ち続けるばななの違和感はココに繋がるのではないか。
 イメージはスターシステムのキャラクターが居る控室のような場所、出番と告げられて上手に向かうばななと頭上に輝き続ける赤い星。アニメの総集編ながら話の順序と楽曲が違う事、それが現実的展開の都合だけではなく作品内に組み込まれているのではないか。中間世界のばなながきりん(観客)の為に今回再演を始めている?ロンドの数字だけ再演をしている?まだまだ解釈を深める必要がある。
 あの場所に立つ条件として、きりんと会話したことが有るキャラクターと考えていたが10話でレビューデュエットの開催を告げられる際誰もきりんに驚いていないことから描かれていないものの全員ひかりやばななのようにオーディション参加にあたってきりんと会話をしているのではないか。


 今回ばななときりんが限りなく我々に近い視点から作品を見ることで観客を作品内に巻き込んでいる。結果的に自分は作品と現実が曖昧になり混乱しそうになった。次回作への監督のコメントも「観に来る事に意味がある作品」だった。視聴者も作品に組み込むようなより複雑な構造の作品が生まれつつあるのではないか。全てが明らかになるのは結末を迎えてからだとすれば今こそ舞台創造科という名前を与えられて意味が生まれる。
 次回作が公開されるまでの間作品を読み解き、考察を重ねることで無限の可能性を生み出すことができる。「ロンドはいつしか終わる」「だから眩しいAh…」3年生に時間を進め間違いなく作品は終わりに近づく、そんな今を輝かせてこそ「舞台創造科」を名乗れるのではないか。演者を変えて1から物語を描き直す等、作品自体を終わらせないことはできるがどんな結末化は誰にもまだわからない。

・まとめ


「私は見つけなければいけない、私自身の物語を」
 予告の華恋は言う、EDロールに悔しさを覚えた直後突き刺さった言葉だ。
21年の映画公開それまでに自分の物語を見つけられるだろうか。
 極限まで作品と現実の境界が曖昧になり、立ち止まったまま新作公開を迎えたら精神崩壊するかもしれない(大げさ)。だがそれくらい強いメッセージを受け取った。
 「再生讃美曲」は新作のテーマソングにしたほうが良いのではと最初感じていた。しかし次を生み出そうとする今だからこそ輝くのだとやっと気づけた。改めてリリックビデオを見ながら再確認している。「選ばなかった過去達へ」という歌詞から華恋が助けに来なかった世界~等と最初考えたが、舞台少女となる事で犠牲にしたもの、それでも手に入れたかったものと終わりに近づくとしても未来(次回作)へ向かう歌なんだと理解するようになった。当初予定していたMVやイベントは無くなっているがそれにより返って作品世界が強化されるかもしれない。
 公開が予定していた20年末から来年になったのは、製作や本作の遅延によるものではなく舞台#3の後に公開したいのだと思う。3年生になった一行がテーマである以上「2層展開」の為調整しているのだろう。勢いで3000字書いたので論理が破綻していたり気づいたものの忘れている事もあるかもしれない。随時追記して新作公開を待とうと思う。
 「お持ちなさい、貴方の望んだその星を」 
 「舞台で待ってる」

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