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秘する女神のコラージュ〈5 〈鏡ガエリ〉の女〉

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 雨が降る度に光から熱は冷めて行き、或る日、空は夏である事をやめた。投げ上げられた物が落ちて来る様に、新鮮なものが枯れる様に、《其がやがて朽ちる様に》、私は私の主人公性に飽きている。何をすれば其程に生きる事に夢中になれるのか、《どうして其だけ必死になれるのか》《一体何が面白いのか》、私には見当が付かない、退屈で在る事を認めても、私は私のルールの中でもがき続けている。
 夕闇に降る雨は涼しく、街灯は色を変えつつあるユリノキを色褪せて見せている。
 《丸で、先延ばしにされて行くダイエットの様に》やらなければならない努力は、遠のいて行き、《目的としてのダイエットは殆ど機能していない》、努力をしている証としての痛みを代用として自分に課しているだけだ。《然し、ダイエットしていない、とは云い切れない、何故ならダイエットしていないと云う程私は女を諦め切れないからだ》、丸で、其だけに自分らしさが収束して行く様に、《ダイエットをしている女性像は私に付きまとっている》、自由になりたいけれど、《ダイエットをしなければならない》、傷口としての自我の愛撫から逃げきれない。限度を決める〈思考の公務員〉は限度によって否認している。《ダイエットをしなければと危機感を持っている私は大丈夫だ》、そう思っている自分は潜在的に努力している、《何時でもダイエットは始められる》《始めれば大丈夫》、だが、正しい努力の仕方、正しい在り方を私は知らない。禁忌を作り、同時に依存している限度の否認、此の奇妙な線と折り目。どうして其の折り目を越えてはならないのか、其を考える事は禁じられている。《どうしてダイエットを始めてはならないのだろう》《どうして午前0時までに帰らねばならないのだろう》《どうして女性らしく在らねばならないのだろう》其等理由の不在と云う自由性を受け入れる難しさだ。禁忌の内側に居る限り、自由とは相対的選択で在り続ける。危険ばかりを聞かされると、《怯えて生きる事が当然の中で》、其の外で一夜を過ごす事を考えられるだろうか、未知の土地へ行き、想像を超える体験を、内から受け入れられるだろうか。《だから限界の中を飽きる迄這い回る》私は信じない、自力で一編の小説が書けるのか、一冊の本を一人で作れるのか、自らが酔いしれる一曲の楽譜を書き切れるのか、其の旋律が自らから溢れる事が在り得るのか、確かめる事が出来ると云う事を。《いや、きっと出来ないだろう》そう、未来は先回りして、述べている、強制して制圧する言葉。《此の過去に先回りする未来、或いは未来に先回りする過去の呪い》だが、私は一度として体現していない、此の欲望の地平を、埋め尽くしていない、私は此の限界の家で満ち足りる事が無い。私は作曲に挑むべきだと認められないが為に、一度も作曲をしない中で、作曲の難しさと不可能性を自分に云い聞かせている。冒険をしない冒険者の限度、処女による恋物語の白紙を、恥じらい隠し、処女作は進まない。未来は私を脅迫する、限度は私を委縮させる、そして、其は此の先延々と続くだろう、書き続ける限り。言語の鬼胎(きたい)は終わらない、然し、私が留まっている今現在は何処だろう、私は〈現在∧現実〉にしか居ないと云うのに。
 《未来が過去に先回りするのであれば、あなたは〈鏡ガエリ〉をするのでしょうか》《脅迫する未来の先に、君は意味を求めるだろうか、理由を求めるだろうか、其の言葉と云う征服者は再び、君を処女の部屋へと追いやるだろう。行為は処女である、たとえ繰り返されても 、時は生みの苦しみに満ちている、此の行為の処女性は純白では無い》《処女性は、其を想起する限り、処女ではありません、童貞は童貞性を思い出す限り童貞的ではありません、其等処女性は越えたとして残り続ける通過した通過儀礼であり、其を思い知らされる強制なのです》《生きる事を問う君は既に作曲家。君は少女ではない、子供でも無い、少女の姿のメタファ、度々、少女になる君だ。君は少年ではない、少年の姿のメタファ、其の虚構を生きる旋律なのだ。だが、其を聞いて耳を閉じる君にとって拒む事が内部で在り外部である、其の怒りは君に約束のリングを与え、〈鏡ガエリ〉は拒まれて君は〈秘する女神〉にもなれない。其でも顔を求める君に、一輪の化粧は在るべきだ。だが、仮面は何時か溶けて行く一輪に過ぎない》
 雨の公園に立つ、真糸は耳を澄ましている、公園の向こうに在る住宅地はとても遠く見えて、丸で影絵の様に彼女の瞳に映っている。
 「あなたは狂人に会った事が在りますか」白薔薇の婦人と呼ばれる女性は尋ねた。婦人は白薔薇をモチーフとした帽子を被っている、一見、如何にも高嶺の花の様な女性に見えるのであるが、彼女の立ち姿は艶やかで誘惑的で淫らである。「社会から隔離される様な、心神喪失者、彼等は奇妙な妄念を抱いています。或る気が狂った詩人は申していました、狂気は詩にされなければならず、詩は狂気として他人に感染しなければならない、そして、蔓延した狂気こそが哲学である、と。其の男は周りの声を聞かず、金にならない文を一日中書き続けていました、今の御時世に手書きですよ、其を何百枚何千枚と書くのです。でも、私達ココットも同じく、狂気の存在かも知れません」
 「どうして私に其の様な事を云うのですか」真糸は尋ねた。
 「私が、あなたにリングの話をしたから、あなたの夢想が完成したのか、一つの妄想に私達の提案が巻き付いただけなのか、私には判りません。ですが、夢で会った人物に云われたから、避妊リングを付ける処女、此が狂気を持っていないとしたら、私は当に正気を持たない狂人と云う事になります、其だけです」
 「あなたも狂気の存在では無いのですか」真糸は尋ねた。
 「ええ、そう申しました、でも、自分では納得出来ていないのでしょう。手続きは此方で済ませておきました、あなたはあの婦人科に行って施術を受けて下さい、別に私が面倒を見なくとも御金さえ払えば誰でも受けられるものです。痛みも無く、時間も掛かりません、尤も、処女のケースは知りませんが。もし、其の約束が果たされて、失顔とやらが売られていたら私にも教えて下さい」
 「そうですね、あなたも早く失顔を売った方が良いです」真糸は云った。
 白薔薇の婦人は、不愉快そうに、顔を歪めて真糸を一瞥して公園から出て行った。
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