可処分時間報酬問題

前の部署で頼りにしていた先生が9月末で辞めることになった。前々からなんとなくそんな気はしていたが、やはり、と思う。

このところ、若手の有望な先生が辞めて他大学に行くケースが多い。このところ、というか、私が大学で務め始めてからずっとそうであるし、聞けばその前からそうであるらしい。
原因は明らかで、若手の有望な先生に科目も学務も雑務も各種会議も集中するからであり、そのために疲弊し、その傍らで問題教員が働かず好き勝手にしていることが目について嫌になり、自分の意見は通らない中で負担だけが増え続け上司も誰も助けないことに絶望し、そのうち他大学から声がかかって引き抜かれ(もしくは積極的に転職活動を行って)、辞めるのである。もはやパターン化している。
役職についているか、思い入れがあるか、よそに動けない事情があるか、でなければ、できる若手の先生ほど不満が大きくなり、出ていく。上層部との考え方の違いも大きければ尚更である。
見ている事務方の私からすれば、まぁそうだよねー、という感想しか出てこない。

ではそうした有望なできる先生を引き止めるために給料や職位をぽんと上げればいいのかというと(それはそれで一筋縄ではいかないのだが)、それで解決する問題でもない。一番の不満はお金というより研究にかける可処分時間という報酬が減り続けることだからだ。
先生方はもともとやりたい研究があって、そのために大学に所属して研究者の身分を確保している。それなのに、研究以外の仕事がじゃんじゃん降ってきて、どんどん可処分時間が減っていく。たいていは裁量労働制なので、これは個人の時間単価が他人に勝手にどんどん安売りされていくことでもある。
一方で、一部の教員は問題がありすぎて、学部がなかなか教育や入試や各種委員などの責任ある仕事や対外的な仕事を任せないため、できない人ほど役目を外され仕事がなくなっていくことになる。しかしそれは同時に、可処分時間という報酬をふんだんに与え、その人の時間単価を上げることに繋がってしまう。
できる人から見れば、仕事をすればするほど研究時間が減らされ、仕事ができない・やらせられない問題のある人ほど増えるという不条理な事態となる。時間という報酬で見ると、貢献度と報酬がまったく反比例してしまうのである。

そういう場合に、問題のある人の裁量労働を外したり、パーマネントの雇用契約を見直したり、給与の大幅減額なんかができれば、身を粉にして働いている先生の溜飲も下がるかもしれないのだが、溜飲が下がるだけで、それは仕事を減らして自分の時間報酬を増やすことには繋がらない。新たに仕事ができる同じ立場の人が来なければ負担を分散できないのである。しかし教授職(正規の無期雇用)採用はというと、募集をかけるのも選考を進めるのも採用を決定するのも、すべてが厳格に管理されており、各ステップで逐一教授会を通さねばならないので、希望したからと言って来月からすぐに人を増やせるわけでもない。職員も減らされているので、サポートも期待できない。補助のアルバイトを直接雇うのも簡単ではないし、雇えば追加で増える事務処理もある。にっちもさっちも行かない。結果、辞めるか、どんなに立場が悪くなっても構わないと吹っ切れて学務を引き受けなくなる。

これをどうにかできないのかずっと考えているが、立場が弱く仕事を断れない若手の先生が研究に集中できる環境を作ろうとする人がまずいない。そもそも教員は全員の立場が独立してフラット(もしくは講座制ヒエラルキー)という建前で、個人事業主の集まりかのような組織(のわりに自由度はない)なので、代わりに仕事をかぶるような連帯の関係性がない。職員は学務が滞りなく進むことを優先して個人の研究のことを考えないし、事務処理というのはいくらでも増殖しするすると時間を呑み込んで喰っていくものだ。

毎学期、どこかの学部で誰かしら先生が辞めている。
産業医から配慮の命令が出ているにも関わらず何故かまた新たな担当がついている先生も、潰れるのが早いか辞めるのが早いかという状況になっている。
仕事量が心配と言いこれ以上新しい仕事をその人には振らないと言っておきながら、その口で新しい会議を立ち上げて他にやれる人がいないからとそのメンバーに入れる。サイコパスでなければ記憶障害か何かかと思うが、そういうことが悲しい哉、よくあるのである。採用しても次々辞めていくと嘆いていた学部長もいたが、そのような状況では当たり前である。
守ってくれる人はいない。組織も上長も仕事を乗せるだけ乗せて先生の健康や研究を守らない。大学に就職するというのは、若手の研究者にとっては、学部というムラ社会の一員となること、ブラック中小企業に入社するようなものである。教員同士の人間関係も良好とは言えない。時間報酬をどうにかして最適配分できなければ、今後もきっと真面目で大学のために一生懸命働いてくれるいい先生から限界を迎えて辞めていくことだろう。

大学の理念もやっていることも目指す方向も必要で間違いではないと思えるが、若い人から時間を搾取しすぎる環境については、まったくもってどうにかしなければならないと感じる。子育て支援制度と同じくらい、研究のための時間を確保する施策が必要なのではないかとも思う。
うまいこと回って納得の行く制度を作れる気は到底しないが、どうなればいい先生が絶望して辞めないで済むのか、最近はそのことをずっと考えている。

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