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10月4日(水)ドイツ時間14時12分にDuisburgのSana病院にて3640g、54cmの男の子を出産しました。

貴重な経験だったので記憶が新しいうちに書き残しておこうと思います。

※ リアルな表現等も出てきますので苦手な方は読まないほうがいいです。

予定日超過1週間

予定日は9月27日だったので大きなお腹を抱えながら今日か今日かと毎日毎日思いながら寝る日々を過ごしていました。前駆陣痛のような痛み(生理痛のような腰が重い感じ)は予定日の1ヶ月前くらいから感じていたので予定日よりも早く出てくるかな?と期待をしていたのですが、期待通りには行かず予定日を過ぎても出てくるの気配はなく、予定日を過ぎてからは婦人科に2日毎に検診へ行きCTG(日本ではNSTと呼ばれる赤ちゃんの心拍と子宮の収縮、張りをチェックする検査)をして、子宮頸管の長さを超音波検査で確認してもらっていました。

ドイツでの出産はあくまでも自然派。赤ちゃんのタイミングを待つため予定日超過10日までは誘発剤等を打って出産するケースは赤ちゃんと母体にリスクがない限りありません。(UKでは2週間、フランスでは1週間程度待つみたいです。)

夫も毎日ソワソワ、私の母も予定日あたりに電話をしてきて、まだかまだかと聞くし、友人たちからも心配の連絡をたくさんもらったのですが、私自身は赤ちゃんのタイミングを待ちたかったし出産間近になると「なんとかなる、もう出すしかない」という気持ちでどんっと構えていたので、心配してくれて本当にありがたいけどそっとしておいてと伝えて、できる限りジムやお外で歩いたり、安産ストレッチやヨガをお家でやって、お腹の赤ちゃんに「いつ出てきてもいいよ、待ってるよ。早く会いたいよ。」と声をかけて落ち着いて過ごしていました。

10月2日におしるしのようなピンク色の出血がありました。
出産直前は夜寝る時に強い後期づわりがあり、逆流性食道炎かのような強い吐き気、胃液が喉に上がってくるけど吐けないという気持ち悪さが毎晩続きよく眠れませんでした。

出産2日前のお腹

最後には街を歩いてると通りすがりの知らない方に「双子?」と聞かれるほど大きくなったお腹。5、6ヶ月くらいまではあんまりお腹が大きくならず本当に成長しているのか心配になるほどでしたが、最後には張り裂けそうなほど大きなお腹に成長しました。自分の身体がこんなに変化するとは想像もできなかったけど、早くから妊娠線ができないようにオイルやクリームを毎日塗っていたので妊娠線もできず綺麗に大きくなったお腹も日々愛おしく感じていました。

10月3日はドイツ統一の日で祝日だったので、夫が朝からパンケーキを焼いてくれ夜ご飯も辛いものが刺激になって赤ちゃんが出てくるかもとスパイシーなお魚料理を作ってくれました。10月3日に生まれたらお誕生日が毎年お休みだからいいかもね、なんて話していましたが結局出てくることはなく夜を迎えました。

出産日当日

夜ご飯を食べて私はベッドに向かい寝ていたのですが、夜中の1時くらいから1ヶ月ほど前からあった前駆陣痛の少し強い感じを感じるようになり、1人リビングルームへ。空腹感を感じて、普段は後期づわりもあるので夜は食べないのですが、本能的に感じたのか食べた方が良い気がして冷凍していたおにぎりと友人が送ってくれていたお味噌汁を作って食べました。シャワーを浴びて、痛みの頻度を測ると8分〜10分くらいの感覚で痛むので、これはもしかしたら本陣痛が来ているかもと思い、2時35分ごろ、寝ていた夫を起こして病院へ向かいました。

3時半ごろ、病院へ到着する頃には歩くのも痛むくらいになっていて、夫に支えてもらいながら分娩室のある階に行き、陣痛がきたかもしれないから見てほしいとお願いしたところすぐに部屋に通され30分間CTGをしました。CTGが終わった後に、助産師さんが指で子宮口の開きを確認。すでに3cmほど開いているということで入院が決定。別室で出産と向き合っている他の妊婦さんがいきむ声が聞こえてきて赤ちゃんの泣き声も聞こえ私もまもなく同じ経験をするんだと痛みと向き合いながらうっすら考えていました。

採血をした後、4時50分頃に分娩室へ通されました。
温かいお風呂に入る?と助産師さんが勧めてくれたので、準備してもらい1時間ほど温かいお風呂に入りながら激しくなる陣痛に耐えました。お風呂に入る前に鎮痛剤(余裕がなくみてなかったですがibuprofenのような一般的な錠剤だったと思います)を助産師さんが持ってきてくれ飲みました。おしるしががあったことを伝えたので、抗生物質の点滴を打ちながらの入浴でした。陣痛に耐えながら子宮口が開くのを待つ間ずっと抗生物質の点滴は追加され続け繋がれたままでした。この時には陣痛の激しい痛みが2、3分毎に来ていたので、痛みを堪えるために正座の体勢をして呼吸に集中しました。陣痛の痛みに耐えるためには重力に逆らわないように座って横にならず、しっかり長く吐き呼吸に集中したほうがいいとYoutubeなどで勉強しておいたのはよかったです。テニスボールでお尻を押すといいと聞き、準備をしていたのですが結局使わず自分の呼吸を通して集中することで痛みと向き合いました。私は実際痛みが強過ぎて叫ぶこともできませんでした。お風呂から上がり、着替えるように指示されたのですが入院バッグがまだ車の中にあったので病院の手術着を借りました。

6時20分頃、約1時間後の入浴の後、再度助産師さんに子宮口の開きを確認してもらったところすでに7cmに開いていました。希望があれば、PDA(ドイツの無痛分娩の代名詞、正確には硬膜外麻酔)もできるよと言われたので、お願いしました。ドイツの病院には麻酔科医が基本的に常駐しているため、日本のように無痛分娩をする場合でも計画分娩はしなくても済みます。陣痛がきて子宮口がある程度開いてから、妊婦さんのその場の判断で麻酔をお願いすることができます。PDA以外にも入浴や錠剤の鎮痛剤、アロマ、笑気麻酔などPDA以外にも鎮痛方法がある病院がほとんどのようで、ある程度他の鎮痛方法を試してからPDAをする流れのようでした。

PDAをお願いしてから、麻酔科医のお医者さんが2名分娩室へやってきて、施術方法とリスクなどを簡単に英語で説明してくれ同意書へのサインをしました。PDAは背骨の間に入れるので、陣痛がきている間も背中を丸めて耐えなくてはならなかったのですが、この時もとにかく無になり呼吸に集中して動かずにPDAを施術してもらうことができました。15分から30分ほどで痛みが緩和してくるからと言われてベッドに横になりました。担当してくれた麻酔科医の先生は24時間以上の勤務の最後の施術が私だったようで、これが終わったら疲れたからすぐに帰るからと言いながら麻酔を打ち、途中麻酔薬を吹き飛ばし夫の腕を濡らしました。私への施術に関しては影響はなかったのでよかったです。麻酔を入れてもらい、自分で追加する用のスウィッチをもらい痛みを感じたら遠慮なく押して追加していいよと言われました。

病院に到着したときに看てくださっていた2名の助産師さんたちはシフトが終わったようで車に荷物を取りに行ってくれた夫がすれ違った際に、あなたの奥さんはとても強いしお産も順調に進んでいるからきっと安産よと幸運を祈ってくれたそうです。麻酔科医の先生も陣痛の波に耐えながら、麻酔を打っている間動かずに耐えれて強いと言ってくれていたそうです。

7時50分の時点で子宮口が全開大に。このあとは、助産師さんが膣に手を入れながら、赤ちゃんの頭が下がってきているかを定期的に確認してくれました。重力の力を使って赤ちゃんをおろしてあげましょうとのアドバイスを受け、バランスボールの上に座りながら左右前後に腰を動かしながら呼吸に集中。夫が後ろから身体を支えてくれ、「You are strong, you can do this, you are amazing, I’m pround of you」と前向きな言葉をかけ続けてくれました。私も赤ちゃんに向かって名前を呼びかけ「早く会いたいよ、一緒に頑張ろうね」と声をかけながら祈りました。痛いと叫ぶともっと痛く感じるような気がしたので、とにかく前向きな言葉を選び赤ちゃんの名前を呼び続けました。

助産師さんの指に赤ちゃんの頭が触れる段階になり、いきみのサポートをしてくれました。この頃には分娩台、ドイツの分娩室にある分娩台は上半身を上げ下げできるベッドのようなもので婦人科にあるような両足を広げてる日本のような分娩台ではありません。自由な体勢ができるのですが、赤ちゃんを押し出す時には仰向けになって座るように指示されました。この時にはPDAの麻酔は切れてしまっていたのですが、追加で入れるとうまくいきめなくなるから入れないほうがいいと言われ、最大級の陣痛の痛みと向き合いました。CTGのモニターが最大の100に1分ほどの頻度で達するたびに、子宮と内臓を絞り上げられているような痛みにひたすら耐えました。赤ちゃんの頭が助産師さんの指に触れるところまで降りてきていました。助産師さんが赤ちゃんに髪の毛があるか知りたい?と聞いてきたので知りたいというと、指に髪の毛を感じるほど髪の毛があるわよと教えてくれました。そのあと、陣痛の波が最高潮に達したタイミングで助産師さんに合図を送り、自分の手で膝を抱えるように持ちながら大きく開き、大きく息を吸い、息を止めたタイミングで赤ちゃんを押し出すようにお腹に力を込めいきむという流れをを2回、3回と繰り返すフローを何度も何度も繰り返しました。助産師さんが一緒に呼吸をしてくれ、上手にできてるよ、とかもっと息を長く吐いてと声をかけ続けてくれたので繰り返し繰り返しやってくる痛みといきみのタイミングを諦めずに頑張れました。夫が冷静に横で私の身体に触れながら見守ってくれていたのも心強かったです。

実際のCTG(赤ちゃんの心拍数と陣痛の波)

13時頃、助産師さんが、うまくいきめているんだけど赤ちゃんの頭がなかなか降りてこないから先生を呼んで超音波検査をして赤ちゃんの頭の位置を向きを確認してもらいましょうと言った後m分娩室に産婦人科医の先生が入ってきて私の下腹部を超音波でスキャンしたところ、赤ちゃんの顔の向きが本当であれば私のお腹側を向いて向き合うように前に出てくるべきところが、逆の背中側を向いているから体勢を変えて重力を使って正しい方向に動くかどうかやってみてほしいというので、分娩台(ベッド)の上でヨガのチャイルドポーズをやってみたり、各サイドに向いて横になってみたり30分ほど激しい陣痛の痛みに耐えながら体勢を変えてみたのですが、そもそも赤ちゃんの頭自体が私の体には大き過ぎて動かなかったようで、吸引分娩などをすることも不可能という先生の判断をもらい、一番安全な方法は帝王切開しかないとの指示を受けました。

12時間以上の陣痛に耐えた分娩室

元々、吸引分娩には抵抗があったので帝王切開での出産に即同意をしました。
13時45分頃、帝王切開をするため別の手術室へ担架に乗せられて移動。別の麻酔科医の先生が下半身の麻酔をかける上での説明してくれ再度同意書へのサインをしました。麻酔はPDAと同様のものだけれども量が増えるので触られている感覚は残るけれど痛みは感じないと説明してくれました。上半身の感覚や意識ははっきりあり、左腕には点滴を打ち、右腕はモニターに繋がれながら、手術の準備をものすごい速さで6、7名の看護師さん、お医者さんたちが進めてくれました。人生初の外科の手術でしたが、お医者さんや看護師さんたちが安心するための声をかけてくれ、胸元から下は見えないようにカバーをされていたのでとにかく信じて任せる気持ちで麻酔が効いてくるのを待ちました。手術室が寒かったのか、麻酔の影響だったのかわからないのですが、とにかく身体の震えが止まらず歯もガタガタいうほど手術が終わるまでずっと震えていました。麻酔が効いているかの確認は、スプレーを足に吹きかけ温度の感覚があるかどうかでチェックをされました。液体をかけられた感覚はあったものの、同様に腕にかけられたかのような冷たさは感じなかったので麻酔が効いていると判断され手術が開始されました。この頃には夫が手術服に着替えて枕元にやってきて手を握ってくれました。気持ちが高まっていたのか、涙が自然と流れてきてぽろぽろと泣いていたら麻酔科医の女性の先生が心配して優しい言葉をずっとかけてくれていました。他の看護師さんも泣いている私の顔を撫で、大丈夫よとドイツ語で言ってくれました。手術自体は縫合まで含めても15分程度だったと思います。カバーの向こうでは何が起こっているのか見えず手術中痛みは全くなかったのですが、メスでお腹を切られている感覚、お腹の中から赤ちゃんを取り出すためにお腹をゆすられているような、引っ張られているような感覚は感じ不思議な気持ちになったことを覚えています。

14時12分、息子誕生。
元気な鳴き声が聞こえ、私の顔の隣に息子が運ばれてきました。息子の鳴き声が聞こえた瞬間、感極まって号泣。私の大きなお腹の中で大きく育った小さな命は確かにそこにあったんだ、無事に生まれてくれて良かったと心からほっとして生まれたての赤ちゃんに「頑張ったね、ありがとうね」と感謝の気持ちが一気に溢れました。妊娠中一度も超音波検査で顔を見せてくれなかったシャイボーイだったのですが、鼻が私の鼻と瓜二つで遺伝の凄さを感じ、私の息子への第一印象は「私と同じ鼻だ」になりました。

14時15分頃、夫が息子の臍の緒をカット。ドイツでは臍の緒を保管する風習はないそうですが、希望があれば胎盤を丸ごと持ち帰りサプリメントにしたりスープにして食べたりする人もいるそうです。夫は私の開いているお腹の中を見たいかと聞かれたそうですが、妻の内臓を見たいという趣味はないと思い断ったそうです。夫は息子と出産直後の検査に同行し、私は胎盤等の取出しとお腹の縫合をしてもらいました。手術自体とても素早くスムーズで無事にあっという間に進み、手術後点滴などの取り外しを行いながら看護師さんたちがおめでとう!よく頑張ったねと声をかけてくれました。14時35分頃手術室から下半身が麻酔で全く動かなかったので別の担架に3人の看護師さんたちの助けを借りて移動し待機用の病室へ運ばれました。すでに夫が息子を胸に乗せBonding(カンガルーケア)をしていました。生まれて間もない息子はすでに私のおっぱいを探して夫の胸の上でそわそわと顔を動かしていたそうです。初乳をあげるために私の胸の上に息子を乗せてもらいました。生まれたばかりなのに、すぐにおっぱいを吸うことを知っていてびっくりしました。

出生体重は3640g、身長54cm、頭囲35cmでした。ドイツでは平均的な大きさですが、日本人の私の身体にはとっても大きな赤ちゃんでした。

生まれたての息子の手。

入院中、夫も一緒に宿泊できるようにファミリールームを希望していたのですが残念ながら同じ日に出産をした妊婦さんが私以外に6名いたということで2名一部屋のお部屋をもう1人の妊婦さんと共有することになりました。19時前には夫は面会時間外になるので帰宅せねばらなず、私はお部屋で夕食を食べて赤ちゃんと過ごすことに。

ドイツの病院食はパンとチーズとハムだけと聞いていましたが本当でした。麻酔も切れ始めていたので、追加で鎮痛剤を飲み温かいものが食べたかったのですが、出てきたのは本当にパンとチーズ。全く食べれず無理やりチーズだけ食べてあとはお返しすることにしました。おにぎりを持参していたのですが、起き上がれなかったのとベッドの下のバッグに手を伸ばすのも痛く諦めました。

赤ちゃんの涎がたくさん出ていたので心配になりナースコールをしたところ、普通のことだから心配いらないと言われ、今夜は自分の身体の回復のために休みなさいと息子は看護師さんに預かってもらうことになりました。病室にいた息子はずっと疲れて静か寝ていて、生きているのか心配でずっと手を握ったり息をしているか確認したりしていたので離れるのは寂しかったけど一晩寝ることができて助かりました。

出産を終えた夜の夕食
次の日の朝ごはん

ドイツの病院では自然分娩の場合は2泊3日、帝王切開の場合は3泊4日ほどで退院になります。基本的には出産直後から母子同室で赤ちゃんへの授乳やお世話がスタートします。私も結局3泊4日での退院となりました。帝王切開の身体へのダメージは想像以上で、出産した日と次の日のお昼頃まで出血もあるのでカテーテルで尿を取ってもらっていましたが、そのあとは自力でベッドから起き上がり歩いて5歩先のお手洗いに行くにも上半身を曲げて壁をつたいながら歩かなくてはならないほど傷と切られたお腹と子宮が痛みました。一日3度鎮痛剤が処方されていたのですが、足りず追加で鎮痛剤を飲みながら過ごしました。まっすぐ仰向けに寝るのも痛いのでベッドを少し起こした状態で寝てベッドから全く動けない状態でした。院内の移動は車椅子を押してもらっていました。笑うのも咳をするのも痛むのでお腹を押さえてなるべく動かないようにゆっくりゆっくり動いていました。

毎日夫が朝の面会時間10時から夜の19時まで付き添ってくれ朝ごはんを持ってきてくれました。病院食があまり食べられなかったので、義両親が毎夕食事を準備してくれて病院で一緒に食べました。妊娠中食べられなかったお寿司やカルボナーラなどを持ってきてくれ出産を頑張ったご褒美になりました。まだお腹が痛く、あまりたくさんの量を食べられずでしたがとてもありがたかったです。

3泊後、最終日に婦人科の先生の診察がありました。傷口のチェックと超音波検査で胎盤が剥がれた子宮の中の状況の確認をしてもらいました。6〜8週間は悪露(胎盤が剥がれた子宮の部分からの出血)があること、傷口はできるだけ治るまではオイル等での保湿はせず乾かすように指導がありました。帝王切開の場合は最低一年間は次の出産は控えるようにとのことでした。帝王切開で切開した子宮で一年以内に妊娠すると子宮破裂などのリスクがあるそうです。6週間後に通常診てもらっている婦人科でフォローアップの検査をするように言われ退院の許可が出ました。

最後に小児科の先生による赤ちゃん聴力検査と緊急時の対応について指導があり、緊急時の心臓マッサージや人工呼吸の仕方などを教えてもらいました。練習用の赤ちゃんの人形を使っての指導でしたが、模擬で実際に一連の流れを自分でやってみるときに想像しただけで悲しくなり泣いてしましました。産後のホルモンの変化の影響もあると思いますが、感情的になりやすくなっていました。

自宅に帰宅後、夫がベッドルームに行ってというので行くと、ベッドにギフトボックスが置いてありました。夫からの心のこもったお手紙と私が好きなDiorやRitualsのコスメの詰め合わせでした。夫からの手紙には妊娠中に文句を言わずに過ごした私への賞賛やこれから息子を迎えて一緒に家族を築いていくことへの喜びと感謝が綴られていました。そして、産後は私自身も含めみんなの関心が息子に向くけれど、彼からのギフトを使って強く美しい自分へのケアを忘れないようにという思いが綴られていました。全く予想していなかったお手紙とギフトに大感動して号泣し、夫の優しさと思いやりに大感動しました。

息子誕生から2週間

息子を出産してから早くも15日が経過し、自宅での育児がスタートしました。夫は6日間出産と出産後のサポートでお休みを取ってくれていたのですが、仕事にすでに復帰し平日は基本的に私が産後の身体の回復を待ちながら息子のお世話をしています。病院にいたときは出産の疲れからかよく寝てくれていた息子も自宅に帰ってきてからは環境の変化などから初めの数日は夜はあまり寝てくれず夜中泣いていて心配で辛かったのですが、産後の家庭訪問を担当してくれている助産師さん(ドイツでは出産での入院期間が短い代わりに産後助産師さんの家庭訪問があります)の指導から2時間ごとの授乳とおむつ替えをするようになり、初めは500gほど減ってしまっていた体重も出産時の体重を超え今では4000g以上に増え、体温も37度前後をキープできるようになってくれました。乳頭混乱を避けるために初めはミルクを注射器であげるように指導されたのですが、搾乳した母乳とミルクを毎回注射器であげ続けるのは大変すぎたのではやい段階で助産師さんに相談し哺乳瓶に変えました。今はメデラの搾乳機をレンタルして(これも社会保険カバー)搾乳をすることにより今では一定の量の母乳を息子にあげられるようになってきました。週末は夫が夜のシフトを担当してくれて息子のお世話を引き受けてくれて続けて眠れるようにサポートしてくれています。初めは夫の担当の時は特に寝てくれず夜泣きもひどく夫も参っていましたが、2週間ほど経ち、夜は続けて3時かほど寝てくれるようになってきました。リズムを学んでくれたのか夜は2回ほどお腹が空いて泣き起こされますが、初めに比べるとすでに成長をしてくれていて日々感動しています。

まだ始まったばかりの育児で一日があっという間に息子のお世話で過ぎる日々ですが、赤ちゃんは何をしても可愛いです。すでにカメラロールが息子の写真と動画ばかりになっています。

不安でいっぱいのドイツでの妊娠生活と出産でしたが、家族や友人、病院のお医者さん、看護師さん、助産師さんたちに支えられ乗り越えることができ感謝の気持ちでいっぱいです。ドイツでの今後の育児も無理はせず楽しみながら過ごしていきたいと思います。

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