書く理由

こんにちは、Yusonです。
今日は私が文章を書く理由について、お話したいと思います。

たとえば、「あなたは文章を書くことが好きですか?」と聞かれたとして、「はい!大好きです!」と即答できる自信がありません。
「そうかもしれませんね」
と、どこか他人事のように答えるであろう自分がいます。そしてそれは、必ずしも「消極的」な姿勢ではないと思います。

就活を考えていた学生時代、いわゆる「自分の好きなコト」を必死で探していました。興味のあるコトややってみたいコトを、純粋に模索していた時期がありました。
でも、真剣に問い詰めれば問い詰めるほど、一体自分は何がしたいのか、よくわからなくなってしまいました。また、仮に「何か」を見つけられたとしても、果たして自分はそれと向き合い続ける覚悟を持ち合わせているのか、と疑問に思ってしまいました。多分、暇だったのでしょう。(笑)
何かが違う、という違和感ばかりが胸に広がりました。
「大事な何か」と自分で勝手に作り上げた「義務」をはき違えている氣がしました。

時は過ぎ、卒論を書く時期がやって来ました。
読んでは調べ、書いては考え、半分以上は書き直す、という氣が狂いそうな作業を繰り返しているうちにふと、
「あ、私はこの作業が好きなのかもしれない」
と、思いました。
心の真ん中が、ぽっと明るくなった氣がしました。

ここ二年ほど、色んなタイミングが重なって、「書く」ということについて考えてきました。すると、ぼんやりとですが、私にとっての二つの理由が見えてきました。

1. まずは自分のために書く。
純粋に、今までの経験から感じたことや思ったことを、目に見える「カタチ」にしてみたい、という衝動が書く理由の一番に挙げられるのかな、と思います。

2. 近くて遠い「誰か」のために書く。
人は、どんなに長生きしても、出会える人の総数はたかが知れています。
でも、自分が発した「何か」が巡り巡って、直接出会えなかった「誰か」と一瞬だけでも交われるのかな、と思いました。それってなんだか素敵だな、と。
これはなにも、「私の文章で絶対にみんなを幸せにするから!」といった類のものではありません。(笑) ただ交わる、接点を持つ。そんな氣がします。

人はなぜ書くのか、という壮大な問い自体、そもそも答えなんてないのかもしれません。だからこそ、「健気に」書き続けて、「結論らしきもの」をつかめたら、「よかったね」と自分を褒めてあげたいです。(笑)
そして、受け取った花束をちぎって、花びらは想像上の接点に散りばめてみたいです。


憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)