空っぽな自己肯定

こんにちは、Yusonです。
今日は「自己肯定感」について、お話してみたいと思います。
私なりのアプローチをとっても感覚的に述べるので、右脳をフル活用してお楽しみください。(笑)

様々なメディアで「ありのままの自分」や「自分を素直に認めてあげましょう」といったフレーズをよく見かけます。私にとってのみならず、今を生きる多くの人が共有する悩みのテーマなのかもしれません。

自己肯定感を高めるための精神的なメソッドも沢山溢れています。
「小さな幸せを感じましょう」、「今持っているものに目を向けましょう」、「物事の捉え方を変えてみましょう」…。そして必ず「感謝の気持ちを忘れずに」というお決まりの文句で締めくくられます。どれもが正論です。そしていつの時代も正論はツマラナイ。その先にあるはずの「想像の余地」を奪われてしまうから。

自己肯定ってどうすればいいのか、考え始めたのはある人の一言からでした。

「裁かないで、全部を許すの」

許すこと。
「ああ、自分の期待したレベルまで出来なかったな」とか、「またイライラして氣にしちゃったな」とか。そういった負の感情が生じたとき、それらを否定しないことから始めることが大切なんだそうです。ネガティブであっても感情を感じた自分を認めること。一番怖いのは「何も感じられなくなること」と「涙を流せなくなること」だと思います。

さて、少し抽象的になります。
具体的な個々の感情を許したら、次は一体何を許したらいいのか、という疑問が湧きました。考え続けた結果、「自己肯定って、一回ゼロの状態を許すことなのかな」と思いました。今の自分に至るまで、マイナスにもプラスにもベクトルが揺れてきたと思います。あっちこっちに伸ばしてきたもの(失敗も含めて)を一回ゼロの原点に戻したとき、自分を「許せる」かどうか。ゼロという原点に全てを集約させる。ゼロに一回吸い込んでもらう。(関数のX・Y軸を考えてもらえると分かりやすいかも!)

私は数字の0(ゼロ)がとっても好きで、ゼロの概念に魅力を感じています。空っぽで何もない、という印象と同時に、存在する全ての数を含んでいるという偉大さ。0が無ければ何も始まってはいなかったかもしれない、という神秘に惹かれます。
また、0(ゼロ)は〇(丸)にも似ています。そして、アルファベットのo(オウ)も連想されます。
一回ゼロに戻った時、それらに肯定のサインを出すこと(〇:丸)。そしてそれはOK (All Correct : 全て正しい)ということ。確かにそこに存在する「空っぽ」な自己肯定感。イメージを膨らませて、身に着けたいです。

*次回の更新は9/15になります。よろしくお願いします!


憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)