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一生モノのクリスマスプレゼント

私は日本生まれ日本育ちの在日コリアンだ。

自分が在日コリアンだと知ったのは日本の保育園に通っていた頃。

ランドセルを背負い玄関で靴を履いていた姉に母が、


「コンブ(韓国語で「勉強」)頑張りや。」


と声をかけていた。

日本の保育園に通っていた私は「コンブ」の意味を知る由もない。



「コンブ」…?



頑張りや…?




なぜ母は唐突に昆布を鼓舞したのだろう?

極上の出汁でも取ろうとしているのだろうか?

気になった私は母に聞いた。

すると母は「コンブ」の意味、私が在日コリアンであることを分かりやすく説明してくれた。

なぜそれまで知らなかったかと言うと、日本の保育園には日本名で通っていたからだ。

私のような在日コリアンは本名(韓国名)と通名(日本名)の2つ名前がある。

どちらを名乗っても良い。

そして、私は小学校から高校まで朝鮮学校に通うことになる。


朝鮮学校に通い始めてから名前も本名(韓国名)に変わった。


小学2年生の頃の夏休み。


公園で一人でサッカーをしていると、保育園の頃の友達が数人でサッカーをしていた。

話しかけて一緒にボールを蹴ることになった。

ひとしきり遊んでトイレに行きたくなったので一人でトイレへと向かった。

戻ると友達がひそひそ話をしていた。

何の話をしているのか気になったのでおそるおそる近付いてみると、

「あいつ在日らしいで。もう一緒に遊ばんとこ。」

保育園の頃は仲良く遊んでいたというのに、私が在日であることを知った途端こうも変わるのか…

あまりのショックで彼らに歯向かうことなく何も言わずおとなしく家に帰った。

それ以降、私は韓国名を名乗るのが億劫になり、次第に日本名を名乗るようになっていった。


そして迎えた小学2年生の頃のクリスマス。


母と近所のケーキ屋さんにクリスマスケーキを買いに行った。

私はショーケースに陳列された美味しそうなケーキを食い入るように見ていた。

するとケーキ屋の店員さんが


「僕何歳?」


「7歳です。」

と答えると、


「お名前は?」


と聞かれた。


私はひそひそ話をされた記憶が蘇り、黙り込んでしまった。

本名を名乗ると嫌悪感を抱かれると思ったのだ。

すると母がすかさずフォローをしてくれ、私の本名を伝えてくれた。

すると店員さんは、



「良い名前やん。恥ずかしがらんと言ったら良いよ。」



その優しい言葉に当時の私は凄く救われた。


(優しい方もいらっしゃるんだ。)


(ありのままに生きて良いんだ。)


子どもながらにそう感じた。


それから通名(日本名)は一切名乗らなくなり、本名(韓国名)だけを名乗るようになった。

家に帰り、いつもより豪華な晩御飯を食べた後、家族4人でホールケーキを切り分けた。

ケーキを頬張る私の頬には涙が伝っていた。

初めてケーキの味が甘塩っぱいと感じたことを今でも鮮明に覚えている。

あの日、ケーキ屋の店員さんからいただいた一生モノのクリスマスプレゼントは今でも大切に使わせていただいている。

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