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私の音楽の歴史

今日は私の音楽の歴史を書いてみようと思います。

音楽というものにちゃんと触れたのは小学校2年生。いとこがピアノを習い始めたので、私も習うことになったというありふれたものでした。

ピアノは高校3年生まで10年間続けましたが、あまりうまくはなれませんでした。

どちらかというとスポーツのほうが好きだったので保育園から小学4年生くらいまで水泳、そのあとバスケをやり、中学から大学まで10年間陸上部で、子どもの頃から音楽をがっつりやっていたわけではありませんでした。

ただ、音楽の授業が大好きで、リコーダーは課題曲以外にも色んな曲を練習したし、歌も、音楽の教科書にのっているものは全部歌えました。(ひとりでこっそりやってた。)ピアノを習っていたことで、楽譜が読めたことが大きかったかもしれません。

元々人前に出ることが大の苦手で、すぐに顔が赤くなり、声も小さくなってしまうタイプだったので、人前で歌うなんて考えたこともありませんでした。

そんな私を変えたのが、小学校5,6年生の時の音楽の授業でした。なぜか私のクラスだけ、歌のテストで、体育館のステージで1人ずつ歌うという内容だったのです。

ほんっっとうにまじで休みたかった!!!だけど先生がすごく怖かったので休む勇気がなかった私は、音楽の教科書にのっていた「もめん」という暗い曲をぼそぼそと歌いました。ただただ緊張で震えていたのを覚えています。あとめっちゃ音痴で笑われた。

そのあとも2年間ずっと歌のテストは体育館のステージだと聞いた私は、どうにか並くらいの歌のうまさで歌えるようにならなくては...と恥をかきたくない一心でめちゃくちゃ歌を練習しました。次は友達と同じ曲を歌おうという話になりI WHiSHさんの「明日への扉」を歌いました。なんとか歌えましたが、友達のほうがめっちゃうまくて、なんで同じ歌うたったんやろ、恥ずかしい.…という感じでした(卑屈)

なんでかな、なんか悔しかったんだと思います。頭で思い描くように歌えないのが。頭で流れてるように、歌えないのが。だから、そのあともめっちゃ歌を練習しました。

そして最後の歌のテストの日。

その前くらいにクラスの女子の間で、大塚愛さんの「さくらんぼ」に振りをつけて遊ぶというのが流行っていて、私も一緒にやっていました。

最後の歌のテスト、なんかもう色々吹っ切れたのか、慣れたのか、度胸がついたのか、もう卒業やし恥かいてもいいかと思ったのか、さくらんぼを、振りつきでステージで歌って踊ることができました。めっちゃ盛り上がって、なんだかすごく楽しい!となったのを覚えています。

きっとそこから、ステージで歌うということに快感を覚え始めたのだと思います。

きっとここが、スタートでした。

そのあともう一度ちゃんとステージに立ったのは、大学3年生の頃でした。社会人の方とキューピーハマーというバンドを組みました。私はキーボード、コーラスでした。オリジナル曲を作って、スタジオでワンマンライブをしたのですがめっちゃお客さん来てくれて嬉しかったです。

そのあとスコッティーという高校生バンドのサポートボーカルとしてライブに出演しました。心斎橋の大きいライブハウスでした。ライブハウスってこんなんなんだって感動しました。

そしてそのあと大学4年生の頃に、アイドルになりました。ReaLiZeという匿名ミラージュに改名する前のグループです。全くダンスもできないし、アイドルのことも知らない私が、なんやかんやあって()なんとなーく「やってみます....」と始めたアイドル。

あの頃はまさか自分たちで運営していけるなんて思ってなかったし、あんなにたくさんの人の前で歌えると思ってなかったし、あんなにたくさんの人に好きになってもらえると思ってなかったし、4年8ヶ月もの間続けられるとも思ってなかった。だけど、私にとっていつの間にかすごくすごく大切なものになっていました。

そこで作詞をし、自分の気持ちやグループのことを歌にのせて届けること、届くことが、嬉しく感じました。話すよりも、歌の方が自分の気持ちをダイレクトに伝えられると、そんな感覚がありました。




一度、本当に音楽を手放そうと考えたことがありました。音楽は傍らに置いて、もう少し自分の人生と向き合おうと思いました。だけど、どうしてもできなかった。入院をして初めてライブに出れなくなったときも、退院して思うように声が出なくなったときも、すごくすごく傷ついてどん底に落ちたときにも、横を見ると音楽が語りかけてくれました。私の気持ちを音楽が歌ってくれました。自分の人生と向き合ったとき、自分の人生には音楽が居ました。もう私の人生から切り離せないものになっていました。


そして、今。


シンガーソングライターとして自分をさらけ出して歌をうたっています。一度手放そうとしてしまった、音楽にすがりついて無様に生きています。

生活は全く安定してないし、人に迷惑をかけてばかりで、たくさんお世話になりっぱなしな自分ですが、今すごく、自由な気持ちです。年齢だったり生活だったり、色んなことを迷いながら悩みながら音楽を続けてきて、なんだか今すごく色んなことが吹っ切れて、楽しいです。それが嬉しい。将来はめちゃくちゃ不安やけど←


あの時、あの音楽の授業がなかったら、きっと私は、こうして人前で歌ってることはなかったし、こんなに救われることもなかったんじゃないかと思います。


なんでうちのクラスだけ体育館だったのかはほんと永遠の謎なのですが、とても、感謝しています。

いつか、あの頃の先生にも届くといいな。

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