見出し画像

社員の半数が辞めた時、「起業家」であることを辞めた。

FacebookやTwitterでお伝えしたように、キズキは創業8周年を迎えることができた。

「社会で本当に必要な事業を創り拡大させていきたい」

そう思ってミッションやビジョンに忠実に、会社を経営して来た。特にこの2年間は売上も2.5倍になるなど、特に真剣に経営をすることができた。

現在、塾の生徒は累計1500人全国7校舎、連携自治体も7つとなり、4月に立ち上げたキズキビジネスカレッジも早々に定員オーバーになる。

けれども当然ながら、ここまでは順風満帆な道のりではなかった。

こだわりを押し付けたことで、スタッフが離れていった

キズキを創業してからもっとも辛かった時はいつだろう、と最近ふと考えた。

アパートの一室で「不登校・中退者向けの塾」を開校したものの、1年以上生徒が集まらなかった時。忙しすぎて寝る時間が取れず身体を壊した時。

創業してから8年間、様々な出来事があったけれど、いちばん辛かったのは間違いなくあの頃だったと思い当たる時期がある。

それは、創業して5年目。
半年間で社員の半分以上が辞めてしまった時だ。当時のキズキは生徒数が100名を超え、「個人塾」から「会社」へと成長していく重要な時期だった。そんな中、スタッフの多くが会社を辞めていってしまったのだ。退職した社員は、半年間で半数以上にのぼった。

その頃は、スタッフから話があると言われれば「辞めたい」と言われるのではないかと怯えていたし、仲間が立ち去るたびに周囲から責められているような気がした。出社してスタッフと顔を合わせるのすら怖くなっていたのを今でも思い出す。

******

多くの社員が去った原因のひとつは、一言で言えば僕の強すぎる「こだわり」だった。

自分がひきこもりやうつ病の当事者だったこともあり、生徒や保護者の対応をするスタッフの些細な行動がどうしても気になってしまったのだ。

現場に出てスタッフの行動に逐一注意をしていたこともあったし、メールにも全てに目を通し、気になる言い回しがあれば修正するように伝えることもあった。

もし生徒や保護者からご意見をいただこうものなら、スタッフを問い詰め、一方的に改善点をまくしたてた。

こだわりが強いと言えば聞こえはいいけれど、結果として、僕が正しいと思うことをスタッフに高圧的に押し付けるだけになってしまっていたのだと思う。

いくら頑張っても、信じてもらえない。今考えると、そんな状況で皆が頑張る意味を見失うのは、当たり前のことだと感じる。

スタッフの対立で組織がバラバラに


ちょうど同じ頃、もう一つの組織課題も浮き彫りになっていた。それは、スタッフ対立の表面化だ。

当時、キズキには明確な採用基準がなかった。「思いが強い」「一緒にやっていきたいと思える」などの漠然とした基準で採用を行なっていた。

そのため、支援や事業の方針、日々の仕事に進め方に至るまで様々な考え方をもつスタッフが集まるようになってしまっていた。

若く勢いのあるスタッフは、さらに事業を拡大し多くの人に支援を届けたいと考えた。
一方で古くからのスタッフの一部は、事業拡大よりも丁寧な支援をすべきだと考え、対立することが多くなっていった。

さらに支援方針についてもスタッフ間で溝が生じていた。
知識あるスタッフがファクトに基づいてロジカルに支援を行おうとする一方で、強い思いを持って入ってきたスタッフは情熱や感覚に拠った支援となりがちだった。結果、お互いに対しての不信感は徐々に強まっていった。

その頃のキズキは、大切にしたい価値観が共有されていない状況だった。だから、「多様な考え方」が目に見える対立へとつながってしまったのだ。

当時の社内の雰囲気は、今思い出しても最悪な状況だったと思う。

事業観や支援観の違いは「あの人は会社のことを全然考えていない」「あの人は支援が下手だから一緒に働きたくない」といった感情的な対立につながっていった。

マネージャーや僕が仲裁に入ろうと面談の時間を取るが、なかなか両者の歩み寄りは難しい。結果として面談の分だけ残業時間も増え、よりスタッフの負担が増すという悪循環を招いた。

徐々にまとまりを失っていく組織を前に、不甲斐なさと焦りで眠れない日が続いた。

行動規範を明文化し、立て直しを図った


こうした状況をなんとかしたいと、当時キズキをサポートしてくださっていたIBMのNさんに相談をすることにした。

Nさんは、以前プロボノでコンサルティングに携わってくれてからキズキのことを気にかけてくれるようになり、その後も定期的に相談にのってくれていた。

「行動規範を明文化してはどうでしょうか?」

社内の状況を細かに説明すると、Nさんはこう言った。キズキのこだわりをちゃんと明文化した方が良い、ということだった。

キズキのスタッフである以上、これは守ってほしい。そんな重要な価値観を言語化することで、同じ方向を向いて仕事ができるようにした方がいい、とのことだった。

Nさんと、現COOの仁枝と管理部長のIさんと僕の4人で集まり、何時間も議論を重ねた。
現状社内で活躍している人や、「キズキらしい」と感じる人の特徴を洗い出し、グルーピングをする。それを繰り返すことで徐々にキズキで大切にしたい価値観を絞り込んでいったのだ。

そして、完成したのがこの行動規範だ

(1) 一人ひとりがプロフェッショナルであり続ける
(2)ファクトとロジックを用いて、自由闊達に議論をする
(3) どんなときもインパクトの最大化を目指す
(4)多様な視点を持って行動する
(5)自らの感情をコントロールしながら、コミュニケーションを行います
(6)善意に基づく自己満足の支援には陥りません
ーキズキ行動規範より

その後、採用をこれまでのようにフィーリングで決めるのではなく、行動規範に照らし合わせて行うようになったことで、徐々に社内はまとまりを取り戻していった。また、人事評価も行動規範に沿って行われるようにしたことで、組織のカルチャーを保てるようになった。

そして僕自身も、どうしてもこだわりたいポイントを絞り込んだことで、それ以外のこだわりは押し付けるべきではないと線引きができるようになっていった。

行動規範があるだけで、こんなにも変わるのか。そう思えるほど、徐々にみんなが一緒の方向を向いて仕事をができるようになっていったのを感じた。

「起業家」のままでは「経営」はできない

この過程で学んだのは「起業家」のままでは経営はできないということだ。

創業時には、強いこだわりが前へと進むエンジンになるし、とにかく熱い思いをもつスタッフと働くことで会社を成長させられると信じていた。

でも、スタッフの数が増え組織が大きくなった時に必要になるのは「こだわり」や「熱い思い」ではなく、「大切にすべき価値観の言語化」とそれを浸透させるための「仕組み作り」だと知った。

起業と経営は違うーー

そのことに気づかず、これまでの成功体験やこだわりを捨てられなかった期間に多くの仲間が去ってしまったことについては今でも後悔することが多い。

やるべきことに気づいたあとも、すぐに自分を変えるのは難しかった。組織が崩壊していく中で、なかなか変われない自分に嫌気がさしたこともある。

でも、最終的に頭の中に浮かんだのは「こだわりの会社を作りたいのか、それとも多くの人を救う会社を作りたいのか」という問いだった。

その問いに向き合った時、自分が変わらなくてはいけないのは明白だった。

起業家から経営者になるには、これまでの成功体験やこだわりを捨て、より広い視野をもつ必要がある。心の底からそう納得できた時、自分も少しずつ変わっていけた気がする。

時々、当時のことを知っているスタッフからこんなことを言われることがある。

「あの時は、何度も会社を辞めようと思いましたよ。でも私まで辞めたら、キズキはもう終わりだと思って(笑)」

あの時、キズキのことを信じ続けてくれたスタッフのためにも、もっと良い組織を作っていきたいなと思う。だからこれから始まる創業9年目も、真剣に経営していくつもりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?