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もうひとつのミシシッピ州旗

12月になった。この時期になると、毎年があっという間に過ぎ去るように感じる。今年はイレギュラーなことが多すぎたので、いつにもまして時間の流れが速く感じる。

先月はじめの米国の大統領選挙。そのとき同時に住民投票があった、ミシシッピ州旗の変更について、簡単なnoteエントリを書いていた(書いてから、いくつか誤りが見つかったので訂正しています)。

先月最後の日曜日、わたしが所属する日本旗章学協会のオンラインの会合で、このことを報告した。その報告にあたって、現地の報道をさかのぼって調べていたら、別の旗について知ることができた。2014年に代替旗として考案され、新たなミシシッピ州旗になるかと目されていたステニス・フラッグだ。

米国には州や都市ごとに日刊紙があるのだけど、これらの日刊紙には地域色の強い記事が載っている。今はネット上で公開されている記事が多いので、とてもありがたい。ミシシッピ州の州都ジャクソン。ここの日刊紙The Clarion Ledger紙に、2016年2月20日付で以下のような記事がある。ジャクソン在住のローリン・ステニス氏がデザインした旗の話。

2013年、ミシシッピ州出身のステニス氏は、しばらく過ごした隣のルイジアナ州ニューオーリンズからミシシッピ州に戻った。自宅に州旗を掲げたかったけれど、カントンにある南軍旗のために断念したらしい。先日のnoteにも書いたとおり、いま米国では、南軍旗は人種差別を正当化するシンボルとみなされている。南軍旗に抵抗を示す住民の多くは、初代の州旗(マグノリアの木がデザインされたもの)を掲げていたということだけれど、彼女の選択肢にはそれはなかった。そこで、木版画アーティストだった彼女は、自ら旗をデザインしたのだという。

上の引用記事にある写真の、両端が赤色で中央の白地に青い星が配置された旗。大きな星はミシシッピ州、周りをかこむ星はミシシッピ州以前に合衆国を構成していた19州。赤い縞は、州民の異なる情熱=旗に対する異なる姿勢を表している。

かつて南北戦争直前に、合衆国から離脱した南部諸州で親しまれた非公式旗ボニー・ブルー・フラッグがある。そのボニー・ブルー・フラッグを反転させたモチーフであることも、2018年の別の日刊紙の記事には触れられている。下のボニー・ブルーの図は、W. Smith, 1975からの抜粋。

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個人が作った旗なら他にもありそうなものだけれど、彼女の旗が特に注目される理由のひとつには、彼女の祖父の存在がある。祖父のジョン・C・ステニス氏はミシシッピ州出身の上院議員で、連邦の軍事委員会委員長を務めた。空母の名前にもなっている、特に軍事面での貢献が大きかった人物だ。

当時の南部州の民主党員としては一般的だったと断り書きがあるけれども、彼は人種隔離政策に賛同していた。しかし、軍事委員会委員長の職から離れた翌年の1982年には、人種差別を撤廃する選挙権の拡大法案に賛成票を投じている。

そのステニス上院議員の息子で、ローリン氏の父親のジョン・H・ステニス氏は、地元の弁護士として、新聞広告を出すなどして、人種にかかわらず平等な雇用機会の実現を訴えていた。

そして旗をデザインしたローリン氏。これまでミシシッピ州のあり方に影響を与えてきた祖父と父親に続いて、どうしても注目される3代目。彼女についてのどの新聞記事にも、必ず祖父ジョン・C・ステニスについて触れた文章がある。そして彼女の作った旗は、「ステニス・フラッグ」と呼ばれ、これを新たな州旗にする運動が活発になった。州議会には卓上旗が置かれ、グッズが配られ、2019年には、州のナンバープレートのデザインのひとつにも選ばれている。

ところが、今年になって流れが大きく変わる。感染症拡大を避けるためのロックダウン。ミネアポリスでの死亡事件をきっかけに、全米だけでなく世界中で過激化したBLM運動。6月下旬には、州議会で、南軍旗を使わない旗に変更する法案が成立した。そんなさなか、当のローリン氏は、ステニス・フラッグを州旗にする運動から退いた。旗のニックネームに自らの苗字ステニスが使われていることに、潜在的な危険を感じたという。人種隔離政策に賛同していた著名な祖父。その影響は、たとえ本人が異なる意見を持っていても、逃れがたい呪縛なのだろう。

州議会を通った法案では、ただちに南軍旗があしらわれた州旗を下ろすこと、11月までに新州旗のデザインを決め、投票によってその可否を決定することが明記された。さらに、新州旗には、南軍旗デザインを使わないことに加えて、合衆国のモットー「In  God We Trust」を入れることが義務付けられた。この条件により、モットーの入っていないステニス・フラッグが新州旗になることはなくなった。州旗についての法案通過を報じた6月28日付のMississippi Today紙には、多くの人々のコメントが紹介されているが、その中にはローリン・ステニス氏の言葉もなければ、ステニス・フラッグについての言及もない。

その後の話は、先日のnoteエントリのとおり。最終的に72%を超える賛成で、マグノリアの花が中央にあしらわれた新州旗が選ばれた。この旗は、9月の段階でデザインが整えられ、選考途中で公開されたものよりも赤の縞が広く、金の線が太く変えられている。その時の新聞記事には、デザインに関わった複数のデザイナーの名前が紹介されているが、ローリン・ステニスの名は見当たらない。

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7月以降、ステニス・フラッグに関する報道は全くなくなってしまった。グッズやナンバープレートもどうなっているのかわからない。国政に多大な貢献をしたジョン・C・ステニス上院議員、平等な雇用機会を訴えた息子ジョン・H・ステニス弁護士、そして代替州旗を提案した孫のローリン・ステニス。ステニス一家の葛藤を思えば、数年にわたって注目された代替旗が、まったく顧みられなくなったことに寂しさを感じる。

しかしながら、最終的に選ばれた新州旗を見ると、両端の赤い帯と円形にならべられた20個の星に、ステニス・フラッグの面影がみてとれる。この旗をデザインしたデザイナーにも、投票した市民にも、ステニス・フラッグに対する潜在的な敬意が込められていると見るのは、考えすぎだろうか。民意を反映して選ばれた旗のデザインには、のちには残らないドラマが宿っているものなのかもしれない。

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