海外で生きるということ

スースダイ、浅野です。

僕は事あるごとに「人生とは何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事」という言葉を思い出します。

この言葉は学生時代(もう約20年前!!)に出会った言葉です。
写真家でありエッセイストの故・星野道夫さんの「イニュニック」にでてくる一節です。
アラスカの初夏の大平原を優しふ吹き抜ける風のような、そんな心地よく温もりを与えてくれる星野道夫さんの文章。大好きです。そんな才能の塊だった星野道夫さんも、上記の言葉の中で人生を終えたのかもしれません。

僕も自分の人生を介して「死」へのイメージが大きく変化しています。

死は生の対極ではなく、生の一部としてある

20代前半までは、「死」は「生」の対局にあり、僕に降りかかるのは来世紀くらい遥か彼方の存在かと思っていました。

しかしながら、26歳でAVM起因により脳内出血を経験し、「あっ、死ってこんなに生と隣り合わせなんだ」と知りました。

死って僕らが日常的にコンビニ行ったり、缶コーヒー買ったりするくらいに日常に潜んでいる当たり前の一つであり、それが誰にもいつだって降りかかる可能性があるのではないでしょうか。

「死」はタブーではなく、親しい仲でこそ話し合うべき対象ではないのか、そう思う今日この頃です。

その大きなきっかけとなったのが、下記の出来事です。

※本内容は2018年8月8日にABROADERSに投稿された内容を一部変えて投稿しております。
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今回はちょっとヘビーな内容ですが、これもひとつの現実であり、いつ僕たちの身に降りかかることかも分からないことなので、記事で伝えたいと思います。

先日、日付が変わる少し前に僕の携帯が鳴った。
電話に出ると、僕の名前を呼ぶその声は息の隙間から絞り出すように細くて必死だった。

「助けて……発作で息が。すぐ来て」と告げられた。

この電話から始まった3日間の出来事が今でも嘘のようだし、嘘であってほしいと思う。
何が何だか分からないままに過ぎ去った時間。

電話の相手は母のような親友のような存在

プノンペン郊外の日本政府からの火葬証明証も取得できる火葬場

その電話の相手(以下Aさん)との出逢いは約8年前。
ふたりしてプノンペンで詐欺師に騙されたことで出会った。

Aさんは僕の母のように寛大で、しかし親友のようになんでも相談でき、大阪弁120%な口調で「違うねんけどな」が口癖だった。
食後のデザートは欠かせない、そんなお茶目なAさん。

SuiJohが立ちあがる前。
まだ僕がプノンペン市内の大学院に通っていた当時は唯一、気兼ねなく話せる日本人の友人だった。
まだ稼ぎがない僕を気遣ってよくご飯に誘ってくれて、ご馳走までしてくれて、僕は精神的にどれだけ助けられたか計り知れない。

 SuiJohを始めてからも定期的に買い物に来てくれ、ずっと温かい目で見守ってくれていた。

そんなAさんは、入院3日目に息を引き取った。
初めて、心電図が一直線になるのを目の当たりにした。

2022年になった今でも、後悔の念が急に押し寄せたりもする。
他の誰でもなく僕に助けを求めてくれたのに……
甘えっぱなしで、まだ何もなにも恩返しできていないのに……
助けられる術がもっと何かあったのでは、と未だに考え込んでしまう。

とてもお世話になったAさん。
でも、僕はAさんのバックグラウンドをほとんど知らなかったことに亡くなってから気づくことになった。
Aさんが倒れてからようやく、Aさんの人生を少しだけ知ることになった。

それは彼女が隠したかった過去かもしれないし、古傷のような痛みがあったのかもしれない。それでも、ことある事にカンボジアへの感謝と愛着を話していた。
残された僕ら。急な死に見舞われたAさん。
遺言もなければ、日本の家族への連絡先もわからない。

遺品整理するなかで、貴重な情報が少しでてきて、結果的にAさんのご親族と連絡は取ることができたけれど、僕のうしろから「ハリー君、ごめんな。違うねん、こんなつもりじゃなかったねん。」と聞こえてきそうで、違うなら「ドッキリ大成功」って登場してくれたらいいのに、なんて馬鹿げたことを何度思い、願ったことか。

そして整理の中であるボックスを開けたら、そこにはSuiJohのアイテムが必要量以上入っていて、それを見た途端に涙が溢れ出してしまった。

それらのアイテムはAさんが「次、〇〇さんにあげるねん」「次の帰国の時のお土産やねん」などなどと言って購入していった品物だった。

でも、その会話から1年以上経過しているのに、袋にはいったままここにある。

きっと僕を気遣って、僕が気を遣わないように"お土産"と偽って購入し、少しでも売り上げを… そんな優しさが詰まっているようで、申し訳なさと感謝と自分が何も恩返しできてない悔しい想いが押し寄せてきた。

海外生活するなら、真剣に考えておきたいこと

この記事の読者の皆さんの中には、海外で働くことや起業することに、憧れを抱く人も多いかもしれません。

でも、今回改めて僕が感じたことを伝えたい。

海外で生活するというのは、海外保険の加入の有無に関係なく、大きな、大きなリスクを伴っているということ。それは問題の種類は違えど、新興国でも先進国でも同じです。
日本だったら電話一本で助かる命も、カンボジアでは助からない。

それは、あなた自身のリスクだけではなく、大切な家族や友人への金銭的、精神的、体力的負担も含まれるということ。

大切な仲間を思うからこそ

今回のことから得た教訓があるならばと思い、この出来事を綴っています。
(これは僕が個人的に考えるリスク回避案なので、あとは自己責任でお願いします)

  • 携帯電話に救急車、病院の緊急連絡先を登録しておく

  • 持病があれば対処法も周囲に公言しておく

  • 緊急で自分たちで病院に行く場合、タンカーや看護師さんの準備及び医師への伝達をしてくれ、と電話に出た緊急搬入受付にこちらから強く依頼する必要がある。
    (息が止まっていて死にそうですと緊急性を伝えたにも関わらず、何も準備されていなかった。もっっっっと真剣に事の重大さを伝え、念押しの電話をしていれば現実は変わっていただろうか…)

  • 海外旅行保険に入る。入っていなければ、クレジットカード付帯の確認を。または現地の保険に入り、事前にカバー範囲の確認をしておく

  • 海外旅行保険、クレジットカード付帯保険があれば、それをパスポートと一緒に証書や内容の分かるものをはさんでおく

  • 無保険の人は、最悪の場合どの病院に連れて行くべきかなどを友人に話しておく(病院によっては先に現金が無いと診てもくれませんし、診てくれても後から「運んだ人」に数百万円相当の請求が来るケースもあると聞きます)

  • パスポートの最終ページにある緊急連絡先欄に記入。変更がある場合はアップデートを

  • パスポートの場所を、信頼できる誰かには伝えておく。コピーを渡しておく

  • 信頼できる人に家の合鍵を渡しておく

  • 最悪のケースとして亡くなってしまった場合、もし日本に身寄りがいなければ、その後の対策も用意しておく必要がある。プノンペンのローカルの火葬場で火葬する場合、諸々含め600ドル程度かかる(ただ日本からの火葬許可証等の法律的問題がどうなるかは分かり兼ねます)

  • 日本大使館への届け出などはとても煩雑でした(2018)

  • 死亡届、火葬許可証発行などの代行業者を介すと、合計4000ドル程度を要する(2018)

  • 信頼できる人に下記の情報の共有
    実家の連絡先、銀行口座、株式や暗号資産の口座

  • 信頼できる人に、万が一の時の対処法含め想いを話しておく

  • 雇用主は現地採用社員、インターン含め保険加入を強くお勧めします

極論ではありますが、こういったアクシデントが起こる可能性はどこでもあり、海外となるとその可能性が上がり、その後の対応もスムーズにいきにくいのが海外です。

そんなリスクもあることを覚悟した上で、自分自身も、ご家族も、ご友人も無事に過ごせる方法を考えてもらうきっかけとなれば幸いです。

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あれから5年

この出来事から5年経過した今でも、僕と妻、共有の友人とは、Aさんだったらこれ3個は食べてるねって話に登場するし、Aさん元気かなって思ったりします。

こうやって仲良かった人々を先に失うことはとても辛く、言葉では表せない感情と向き合い、時間薬だけを頼りにもがきながら息をして、眠っている時が唯一の幸せとすら感じたりもします。でも目が醒めたら生き残っている僕らは今日も生きていかなければいけないわけです。
でも、いつか僕が死んだらまたAさんとあの世で会えるのかなって考えると、死すら少し楽しみになったりもします。
(もちろんまだまだやりたい事たくさんあるので死ぬ気はありません!)

生きること、死ぬこと。助かること、助からないこと。
それが身近なカンボジアだからこそ、いろいろと僕の死生観も変わってきているのかもしれません。

縁起でもないとお叱りを受けるかもしれませんが、仲が良い仲間とだからこそ、これらの話題を共有しておくのが、母国を離れ共に時を刻む友人としてのマナーにもなると思います。

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