裁判所での結婚手続きinNY

ブログの引っ越し作業をしていると、自分自身が書いた過去の日記をついつい読み込んでしまいます。他の誰でもない自分が書いた文章なのに、不思議な読書感があります。11年前に書いた、NYの裁判所での結婚手続きの記録があったので、懐かしさを共有・転載します。(↓の写真をイメージしてもらえば)

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(背景)New York Knicksでのインターンも終わりが近づいていた2009年4月のニューヨーク。3年の遠距離関係を続けていたガールフレンドが台湾から訊ねに来てくれていました。プロポーズにYesの返事をもらい、僕がこの先もアメリカに残る事が決まっている事を考えるとアメリカで(も)結婚手続きをした方が良いねという話になり、残り数日の滞在期間で結婚しよう!と急遽相成りました。

(以下、当時のブログから)

ニューヨークでの結婚は(他の州でも同じかもしれませんが)、まず婚姻オフィスでMarriage licence(資格)を取得する事から始まります。

そして、このMarriage licenceを取得した後に、立会人を付けてのMarriage celemony(セレモニー)を経て結婚が成立し、婚姻の証明としてMarriage certificate(証書)が発行されます。

資格 → セレモニー → 証書

割とシンプルです。が、僕達の場合は(だから?)、そうシンプルに事は運ばず、最初のステップである資格の取得に3回のトライを要した末、ようやく結婚できました。

一回目(書類不備)

オンラインで情報を登録した後、ニューヨークに数箇所ある婚姻オフィスの中から、友人の家が近くにあるQueensのオフィスを選びました。

が、窓口で情報を確認している時に、登録時にはOptional(選択制)とされていたSocial security number(社会保証番号)が実は必須だと言われ、色々と粘ったものの、その場で番号を確認できなかった為に認められず、撤退。

選択制と書かれていたのに必須だったことや、予定通りに事が進まなかったことよりも、担当官の態度の悪さに不機嫌になるものの、彼女になだめられつつ、一旦引き上げ。

二回目(道に迷う)

翌日、前日不備だったSocial security numberをしっかり確認して、今度は職場から近いBronxの婚姻オフィスに向かう事にしました。土砂降りの雨の中、運転に気を遣いながらの運転。

目的地までの地図をプリントアウトしてきたのだけれど、プリントアウトした地図のスタート地点は自分の家、実際のスタート地点は職場。

最初の大きな分岐点で逆に曲がってしまいました。

”ん?地図どおりじゃないな”と気づいたものの、最近は道に迷ってもなんだかんだで目的地にたどり着いてきた自信(勘違い)と、車を停めるのすら躊躇われる大雨により、地図を無視する事に。

結果、本格的に迷いました。

目的地の住所の傍まで来ている雰囲気はあったのだけれど、目的地の住所があるストリートが行き止まりになっていたり。

まぁなんとかなるさ、という思いは、そのうち「諦めたらそこで試合終了だ」という言い聞かせに変わり、ギリギリまで諦めはしなかったものの、無情にも時間切れ。

婚姻オフィスが閉まる時間になってしまいました。

迷ったかもと気づいた時に、一回家まで戻って地図どおりに行こうという彼女の提案を"大丈夫だって"と聞き入れなかったのが明らかな敗因。

"だから言ったじゃん"的な重い雰囲気の中、今日が新しいヤンキーススタジアムの杮落とし試合だと上司から聞いていたのを思い出した僕は、ヤンキースの試合を観に行こうと提案。台湾人ピッチャーが登板する事もあって、雰囲気が若干回復。

球場までの道は、彼女が地図を見ながらナビゲート。方角ちがうんじゃないの?と思っても、自分には口出しする権利なし。

その結果、ばっちり球場に到着。今後二人で車に乗るときは、彼女のナビに従って自分は運転に徹します。

少し雨がパラつきましたが、球場周りの雰囲気がとてもよく、彼女がとても楽しそうにしていたので一安心。試合も球場の雰囲気も大いに楽しめたので、道に迷わなかったらこの試合観戦はなかったね、と言う事で丸く収まりました。

3回目(ついに!)

彼女が帰国してしまう前日。もう失敗は許されません。

場所が確実に分かっているQueensの婚姻オフィスに行く事にし、前日は近くの友達の家に宿泊。

朝一のオフィスはすいていて、今度はすんなりとMarriage licence(資格)取得。しかし、次のステップであるMarrige celemony(セレモニー)を行うには、資格取得後24時間待たなければならないというルールがあります。彼女の帰国は翌日。24時間待つ余裕はありません。

そこで、事前に確認してあった、裁判官が認めた場合に限り24時間待たなくて良いというJewish waiverを申請。婚姻オフィスに裁判官はいないので、所定の裁判所まで行くようにと指示を受けました。

最初のステップで3度のトライを要した経験から、ここで焦ってはまた道に迷うなり何かしらのトラブルが起こるだろうと考え、一度友達の家に戻り、インターネットで道のりを確認。一息ついてから、裁判所へと向かいました。

レンガ造りの古い裁判所の事務所で、Jewish waiverを申請する理由などを書類に書き込み、指示された部屋に向かいました。↓のような貫禄に溢れた扉を開くと、

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裁判進行中。弁護士が弁明しています。

部屋を間違えた、とそっとドアを閉じるものの、部屋番号は指示されたものと同じ。さてどうしたものか、と思っていると、ドアが開き、入ってくるように言われました。僕達が行くことは既に連絡されていたようです。

とりあえず傍聴席の一番後ろにそっと座りました。

すると、じっと弁明に耳を傾けていた黒人の裁判官、"もっと重要なことがある"と、弁護士にストップをかけて、僕達に”こっちに来なさい”と手招き。

裁判止めちゃっていいのか?と思いつつ、指示されるままに中断した裁判を横断する形で、裁判官に個室に連れていかれ、早速、Jewish waiverを申請する理由を聞かれました。

まず最初に聞かれたのが、ミリタリーに入っているのか?という事です。(Jewish waiverを申請するケースの多くは、兵役の為に時間がないという理由らしいです。)

彼女が翌日台湾に帰らなければならないんですと説明すると、彼女の英語力と台湾に住んでいるというギャップに驚いたようで、同じ部屋にいる職員(アメリカ人)を指差して、"あいつより上手に英語を喋るじゃん"と冗談をいい、さらには僕を指差して、"君の方が台湾人ぽいし"と。かなり気さくな裁判官でした。(日本人と台湾人の区別がつくのか謎ですが)

なぜ自国で結婚しないのか等、色々聞かれるんだろうなとの予想に反して、"じゃあいいよ"とすんなり許可がおりました。

資格取得後、24時間待たずに第2ステップのセレモニーを行う許可がおりたので、次は立会人になってくれる友達を連れて婚姻オフィスに戻り、結婚セレモニーをする予定でした。すると、"Do you want me to marry you two here(ここで結婚セレモニーするか)?"と。裁判官にそんな権利があるとは知りませんでしたが、この場で結婚させてもらえるならば話が早い、ということでお願いしました。

"じゃ、裁判が終わるまで30分くらい待ってて"と言われ、僕達は傍聴席に戻り裁判を傍聴。

進行していた交通事故とそれに伴う障害の関連性についての裁判が終了すると、再び裁判官の前に呼ばれ、僕と彼女の名前を書類にサインをし、立会い人役を引き受けてくれた裁判官の秘書たちにもサインをしてもらいました。

そして迎えるは、Wedding vowsと呼ばれる、結婚の誓いです。裁判官(キリスト教の普通の結婚だったら神父)に続いて誓いの言葉を復唱します。

I, (Bride/Groom), take you (Groom/Bride), to be my (wife/husband), to have and to hold from this day forward, for better or for worse, for richer, for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish; from this day forward until death do us part.

この誓いには新郎新婦の名前を呼ぶ箇所が最初にあります。

裁判官: "I, ユウスキ, take you (彼女の名前), to be my wife"
自分: "I, ユウスケ,,,
裁判官 :”ユウスケって読むのか!何で今まで訂正しなかったんだよ!”
自分:(え、結婚の誓いの途中なのにそこ流さないの!)

まったくもう、という感じで誓いの言葉を続行する裁判官。

シンプルな言葉とはいえ、裁判官がまとめて読むものだから覚えきれずに復唱できなかった僕。もう少し細かく切って、もう一回言ってと頼むという、なんともカッコのつかない誓いになりました。ま、僕らしいといえばそうなのですが。一方の彼女は流石で、キチンと復唱していました。

「ほんとにこの男と結婚するのか?」など、裁判官からはジョークを飛ばされたりしながら、無事(と呼んでいいかわかりませんが)にセレモニー終了。いつの間にか傍聴席にいた人たちにも祝福されながら、裁判所を後にしました。

後から聞くと、ニューヨークで結婚セレモニーを引き受ける裁判官は、彼一人だそうです。サインをした証書はのちにオフィスに送られ、その後に日本の実家に送られる予定です。無事に届きますように。

道に迷うわ、誓いの言葉は聞きなおすわで、なんとも自分らしい(頼りないって声が聞こえてきそうですが)結婚でした。

この人とこの先の人生を共にするというとても大きな事が、とても自然な事のように感じられたので、特別な興奮みたいなものはありませんでした。彼女も同じだったようです。お金も地位も、この先の保証も何ももない僕と一生を共にする事を選んでくれた人。

I'll make her feel that she is the luckiest girl in the worldが自分の誓いです。

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懐かしい思い出で、今でも裁判官の顔や裁判所の風景が思い出せます。あれから10年以上経ちましたが、当時の自分に怒られないように、最後の一文をしっかり守り続けようと思います。

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