親子の関係はずっと続く

暑い日差しの中、老婆を助けた。

老婆は自転車で倒れて立ち上がれない様子だった。助けに歩み寄ると服が二カ所、自転車に引っかかり弱々しい身体ではどうにもならず、熱いアスファルトにへばりつくしかないようだっま。

老婆の服を自転車から引き離し立たせた。70代と思われるその老婆は繰り返し同じことを私に言っていた。「30年経理をしていた。長いこと勤め上げた。息子にごはんを食べさせたくてたくさん買い込んだ。」などと何度も繰り返していた。私は話を聴きながら自転車から落ちたビール缶や惣菜、丼ものなどを自転車に載せた。家が目の前のアパートとだというので「何階の何号室か?」と尋ねて、荷物をその部屋の前まで持っていった。とても70代の弱々しい老婆が持つような重さではないと判断したためだ。

この経験で私が強く感じたのは、70代の老婆である母親にビールや昼飯を買わせる息子とは何者なのか?引きこもりかそれとも寝たきりの障害者なのか。どちらにせよ、この母親の境遇ははっきりわからないが母親としての意志、務め、責任感が表れているとも思った。

でも、それは母親としての呪縛のようにも思えた。炎天下の中、自転車の前後にいっぱいの食料品をいれ、転倒し、起き上がれない。何分間起き上がれず、地面にへばりついたかは知らないが、その母親は息子と食べるお昼ごはんを楽しみにしていたのだろう。

母親は何歳になっても母親なのだと痛感した経験だった。